去年、韓国で問題に挙がっているニュースがあった。
教会に、新しい信徒がくる。
これがなかなか優秀で忠実。
数年間模範的な教会生活を送ると、
教会のリーダーとなっていく。
ところがこのリーダー、
聖書を熱心に研究するために、
周りの者が、その聖書理解にどんどん同調していく。
そのうち、今の牧師がダメだということで、
辞めさせるように教会が動いていく。
そして、このリーダーは、
よそからのよい牧師を招くよう動く。
お分かりだと思う。
元々別の教団の信徒なのである。
その教団の牧師をなんなく招き入れることに成功し、
しかもこのリーダーの聖書への情熱に惹き入れられた教会員は、
この教団のものとなっていく。
つまり、教会の「乗っ取り」が行われることになる。
これは、怖いことだ。
私は、この韓国の例に限らず、
似たことは起こりうると考える。
特定の教団の手による策略ではなかったとしても、
こういう事実はありうると思うのだ。
教会というと、牧師の力が大きいとお考えかもしれない。
だが、一般的に、牧師は雇われたスターである。
俳優をプロデューサーが決めたり替えたりできるのと同様に、
株式会社の社長は株主の意向で辞めさせることもできるのと同様に、
教師の採用や決定に理事長や背後の意思がはたらくのと同様に、
牧師という代表者も、一部の役員の意見で自由にさばかれてしまう。
数からすれば、牧師は一人だが、役員は何人もいるから、
特定の考えの役員に他の役員が抱き込まれれば、
牧師だけではどうにも凌げない危機もありうるのだ。
教会の役員というと、どうかすると、
なり手がなくて、無投票当選のように決まることさえ、
小さな教会ではある。
資格はあるが高齢なので権利を放棄しますという方もいるから、
役員になること自体、ことさらにハードルが高いわけではない。
だが、そういう役員が、教会を動かしていくのだ。
役員がサタンに狙われたら、
教会は簡単に潰れてしまうかもしれない。
サタンに支配されたその役員たちは、
およそ聖書や福音とは何の関係もないような理論と運動に陥り、
それでいて自分は神の味方だと思い込み、聖書の言葉を利用する。
私は幾度もそういうふうな経験があるから、
それに容易に気づくようになった。
だが、それも賜物かもしれない。
なかなか巧妙なので、その罠に気づかないクリスチャンも少なくないらしい。
自分は正義である、違うか? と迫るような考えをもつ者に、
まともな人間が、いた試しがない。
せめて、その原理だけでも、弁えておくのがよいだろうと思う。
教会に、新しい信徒がくる。
これがなかなか優秀で忠実。
数年間模範的な教会生活を送ると、
教会のリーダーとなっていく。
ところがこのリーダー、
聖書を熱心に研究するために、
周りの者が、その聖書理解にどんどん同調していく。
そのうち、今の牧師がダメだということで、
辞めさせるように教会が動いていく。
そして、このリーダーは、
よそからのよい牧師を招くよう動く。
お分かりだと思う。
元々別の教団の信徒なのである。
その教団の牧師をなんなく招き入れることに成功し、
しかもこのリーダーの聖書への情熱に惹き入れられた教会員は、
この教団のものとなっていく。
つまり、教会の「乗っ取り」が行われることになる。
これは、怖いことだ。
私は、この韓国の例に限らず、
似たことは起こりうると考える。
特定の教団の手による策略ではなかったとしても、
こういう事実はありうると思うのだ。
教会というと、牧師の力が大きいとお考えかもしれない。
だが、一般的に、牧師は雇われたスターである。
俳優をプロデューサーが決めたり替えたりできるのと同様に、
株式会社の社長は株主の意向で辞めさせることもできるのと同様に、
教師の採用や決定に理事長や背後の意思がはたらくのと同様に、
牧師という代表者も、一部の役員の意見で自由にさばかれてしまう。
数からすれば、牧師は一人だが、役員は何人もいるから、
特定の考えの役員に他の役員が抱き込まれれば、
牧師だけではどうにも凌げない危機もありうるのだ。
教会の役員というと、どうかすると、
なり手がなくて、無投票当選のように決まることさえ、
小さな教会ではある。
資格はあるが高齢なので権利を放棄しますという方もいるから、
役員になること自体、ことさらにハードルが高いわけではない。
だが、そういう役員が、教会を動かしていくのだ。
役員がサタンに狙われたら、
教会は簡単に潰れてしまうかもしれない。
サタンに支配されたその役員たちは、
およそ聖書や福音とは何の関係もないような理論と運動に陥り、
それでいて自分は神の味方だと思い込み、聖書の言葉を利用する。
私は幾度もそういうふうな経験があるから、
それに容易に気づくようになった。
だが、それも賜物かもしれない。
なかなか巧妙なので、その罠に気づかないクリスチャンも少なくないらしい。
自分は正義である、違うか? と迫るような考えをもつ者に、
まともな人間が、いた試しがない。
せめて、その原理だけでも、弁えておくのがよいだろうと思う。