次男の傘が見当たらないという。
いつ、どこで紛失したかも分からない。
呑気なことだ。
彼には、えてしてそういうところがある。
 
雨はざんざか降っている。
仕方がないので私の傘を貸して登校させる。
傘を一つ探して来なければならない。
 
やがて、長男からメールが届く。
傘が折れたので買ってくれ、と。
風がひどかったという訳でもないのだが、
そういう時期になっていたのかもしれない。
 
立て続けに、傘がない事態が起こった。
こうして、二人分の傘の出費となる。
 
昔はよく「ちゃんぽん傘」と言って、
風で裏返しになることがあった。
けれども、またえいっと傘を風に向かって押すと、
元に戻るのであった。
 
傘も、ずいぶん安価になった。
百円均一の店にもある。
ビニル傘だと、もっと安いのを見かけることもある。
こういう傘だと、なかなかちゃんぽんから復帰しない。
もうそれまで、ということもある。
 
傘の骨を修理する、という概念も
今では消えたのかもしれない。
使い捨てしかないのだろうか。
 
これだけ道具が進歩しても、
「傘」という方法は、ずいぶん長い間変わっていない。
日本では「笠」と「合羽」で雨を防ぐことも多かったと思う。
「傘」は古くからあったらしいが、
人々が使うようになったのは比較的新しいとも聞く。
現代でも、もっと優れた雨避けの方法は、どうやら見つからないらしい。
 
傘は、もはや「無断拝借する」というレベルでなく、
「誰のでも勝手に持っていっていいもの」と考える輩もいる。
人の財産に手をかけるという意識が消えている。
会社のボールペンを持ち帰るのも悪いが、
はっきりと人を傷つける行為だという想像力がない。
 
三男の傘は、今まで全部お下がりである。
十年たってもまだ使えるというのは、
拍手を送ってよいことなのかもしれない。