授業のテクニックとか、
教室運営のノウハウとか、
そういうのが全くありえない、などと言うつもりはない。
だが、教育について偉そうなことを言えば、
結局、信頼のおける人間関係、
これに尽きるのではないか、と考えている。
 
失礼な話だが、子どもは時に、動物に喩えられる。
理屈や理性、建前で動くのではなく、
自分の敵か味方かを直感的に見抜いて、
近寄るか引いていくか決めるというのである。
 
その先生は自分の味方であるのかどうか。
そこに、子どもたちの行動の原理があるとするなら、
信頼の人間関係が
すべてを決めるということになる。
 
先生は、八方美人でないといけない、という事情もある。
あるやり方をすれば、
それを好む子どももいれば、嫌う子どももいるだろう。
教育的配慮をしたつもりであっても、
子どもの機嫌を損ねることも、あるはずだ。
 
それがまた、自分のことは棚に上げて、
大げさに騒ぐ子どもだったりするから、
クレームというのも
教師にとり、実に運が悪いということがありうる。
 
子どものほうから、信頼関係を崩してしまうのだが、
それさえも、教師のほうが、責任を感じるのが実際である。
 
教会でも、
牧師がいかに聖書から忠実に説教をしても、
そして、多くの人に、一人一人に、
愛を注いで対応していたとしても、
ひとつ信頼関係が崩れたら、残念な事態になる。
福音という原理で積み上げるべきところを、
人間関係という仕切りが壊れることで、
すっかりダメになってしまうということがあるのだ。
 
人間関係だけで
職場が崩壊していくことなどあるだろうか、と
私は以前思ったことがあったが、
どうしてどうして、人間関係こそ、
職場の成否の要であるのだと、今にして思うものである。
 
対人恐怖という心があるのも、
無理からぬことではある。