「こんな人間は、教会になど行くことはできません」
「もっとちゃんとした人間になってからでないと」
 
分からなくもない。
しかし、そこに問題があると指摘する人がいる。
自分で自分をよくしてから、
それから神に救われようというのは、
根本から奇妙だというのである。
 
なんとか自分で救われて、
それから教会というところでいい顔をしたい。
で、聖書というものをだいぶ勉強して、
キリスト教の教義が理解できてきた。
それで教会というところを見ると、
なんだか結構自分勝手な人がいるのが目について、
教会批判を始める。
 
そんなパターンにはまる人もいる。
 
自分では、聖書を理解しているつもりだから、
なおさらたちが悪い。
 
よい知らせが、
そんな運ばれかたをされるのはもったいない。
信頼されるがゆえに
その信頼に応えるかのごとく
私たちは生かされていくものであることを
伝えていく使命を覚えるこのごろである。
 
それは、私が何もかもを
正しく理解している故ではない。
私がその憐れみを体験している、というだけのことである。