我が家の高校生、なかなか顔が広い。
人脈が豊かというか、
人的信頼が厚いというか、
人付き合いがよいようである。
 
家ではそんなふうではないが。
 
信仰の先輩にも恵まれていて、
本物の福音と偽物とを見分ける
霊的な知恵は与えられているようだ。
その先輩から、手紙が届いていた。
返事を書くべきではないか、と母親に言われて、
書き始めた。
 
後から私に尋ねた。
「びんせん、ください」
 
ところが、なんだか会話が噛み合わない。
「手紙を包む、びんせん……」
間もなく分かった。
次男は、封筒と便箋の区別がつかなかったのである。
 
笑うしかなかった私だが、
笑えないことに気がついた。
それほどに、書簡をしたためないのである。
連絡は、手紙か葉書。
そんな時代は、もう遠い過去になってしまったのだ。
 
書簡を、書かない。
封筒とは何か、知らない。
つまりは、手紙を手紙として書いた記憶がないらしい。
 
こうした世代が、
「パウロ書簡」というものを読むとき、
いったいどのように読むのだろうか。
パウロがどんな気持ちで、
口述のものがあるとはいえ、
書簡に文字を重ねていっていたのか、
把握できるのだろうか。
 
などと、「杞憂だったね」ということになれば
何よりである。