生きるというのは、まず食べることから始まる。
人はパンのみにて生くるにあらず、とは神の言葉だが、
神も、パン「のみ」と言ってくださっている。
やはり、パンで生きているのは間違いないのだ。
私たちは今のところ、それは基本的に「米」だという意識でいる。
早い話、家に「米」があればひとまず安心するが、
家に「米」がなくなると、絶望的な不安に陥るのである。
タイ米を輸入した時代があった。
ようやくタイ米でも手に入れば、
不満も言わず食べていた時代だった。
ただ、私に言わせれば、
カレーやピラフには、コシヒカリよりタイ米の方が合う。
本来のカレーなどはそういうものなのだろう。
米は、恐ろしく安くなったと思っている。
かつて、政府標準米というものがあったとき、
誰が標準米なんて買うの? みたいな空気もあったが、
私は専ら標準米だった。
それが最も安かったからである。
しかし、その価格は、
今スーパーで売り出しの「コシヒカリ」より高かった。
そのころの普通のコシヒカリは
今の魚沼産くらいの値段だった。
家族人数の減少によるのか、
そもそも米食が減少したからなのか、
今は5kgの袋が一般的となってきつつある。
昔は10kgが当然で、餅米は1kgや2kgがあるという感じだった。
紙製の袋で、米穀店の御主人が
家まで配達しに来てくれた。
だから、妻だけが米屋に行っても安心だった。
今は1人が5kgしか買わないと思われているのか、
10kgの袋のほうが割安感が強い。
しかし、その中でも目を惹く安さの米がある。
中には確かに味で劣ると感じられるものもあるが、
質がよいはずなのに、えらく安いな、と思うことがある。
よし、買おう、ということで抱えてカートに移したとき、
私はふと「待てよ」と感じた。
なんか、軽く感じるのだ。
いや、これは明らかに5kgじゃないぞ、と思いつつ
その袋をよく見ると、訳が分かった。
8kgなのだ。
10kgと5kgがあるという先入観があったのだ。
8kgだと、パッと見には10kgのように見えるのである。
それなら、それだけひどく安いというわけでもない。
なんだ、そういうわけか、と納得しつつ、
「紛らわしいなあ」という気持ちも消えることがなかった。
どちらが割安か。
この計算は、生活の中でよく使う計算の一つである。
電卓なしでも比較できるように
知恵ある計算をしたいものだ。
人はパンのみにて生くるにあらず、とは神の言葉だが、
神も、パン「のみ」と言ってくださっている。
やはり、パンで生きているのは間違いないのだ。
私たちは今のところ、それは基本的に「米」だという意識でいる。
早い話、家に「米」があればひとまず安心するが、
家に「米」がなくなると、絶望的な不安に陥るのである。
タイ米を輸入した時代があった。
ようやくタイ米でも手に入れば、
不満も言わず食べていた時代だった。
ただ、私に言わせれば、
カレーやピラフには、コシヒカリよりタイ米の方が合う。
本来のカレーなどはそういうものなのだろう。
米は、恐ろしく安くなったと思っている。
かつて、政府標準米というものがあったとき、
誰が標準米なんて買うの? みたいな空気もあったが、
私は専ら標準米だった。
それが最も安かったからである。
しかし、その価格は、
今スーパーで売り出しの「コシヒカリ」より高かった。
そのころの普通のコシヒカリは
今の魚沼産くらいの値段だった。
家族人数の減少によるのか、
そもそも米食が減少したからなのか、
今は5kgの袋が一般的となってきつつある。
昔は10kgが当然で、餅米は1kgや2kgがあるという感じだった。
紙製の袋で、米穀店の御主人が
家まで配達しに来てくれた。
だから、妻だけが米屋に行っても安心だった。
今は1人が5kgしか買わないと思われているのか、
10kgの袋のほうが割安感が強い。
しかし、その中でも目を惹く安さの米がある。
中には確かに味で劣ると感じられるものもあるが、
質がよいはずなのに、えらく安いな、と思うことがある。
よし、買おう、ということで抱えてカートに移したとき、
私はふと「待てよ」と感じた。
なんか、軽く感じるのだ。
いや、これは明らかに5kgじゃないぞ、と思いつつ
その袋をよく見ると、訳が分かった。
8kgなのだ。
10kgと5kgがあるという先入観があったのだ。
8kgだと、パッと見には10kgのように見えるのである。
それなら、それだけひどく安いというわけでもない。
なんだ、そういうわけか、と納得しつつ、
「紛らわしいなあ」という気持ちも消えることがなかった。
どちらが割安か。
この計算は、生活の中でよく使う計算の一つである。
電卓なしでも比較できるように
知恵ある計算をしたいものだ。