なんでまた今頃、と思われるかもしれないが、
気になるものは気になる。
Yes, we can. という言葉だ。
 
もちろん、これはオバマ大統領が
数年前からアピールし始めた言葉で、
今回の大統領選の象徴ともなった言葉である。
 
これを、中学の卒業式の来賓の一人が、
「やればできる」と説明したのだ。
 
それは、違うんじゃないか。
私は首を振った。
 
英語力などない私のことだから、
私が間違っている可能性は十分ある。
だが、私はそんな意味に
アメリカの熱狂を見ることはなかった。
 
「ねえ、君たち。これをしてほしいんだけど」
「わかりました(。やります)」
の返事が Yes, we can. だと思っていたのだ。
 
もちろん、「はい。私たちはできる」で訳してもよい。
だが、「もしやれば」という感覚なのだろうか。
「やったので」という感覚でもないような気がする。
もっと、自分がその責任を負って、実行します、というふうな
決意のようなものを感じるのだ。
抽象的な、「やったらできる」ということではないと思うのだ。
 
多分、日常語であるはずだ。
だから、私なんぞにはそのニュアンスは分からない。
英語の堪能な方に、教えを請いたい。
だが、もし私の受け取り方に
いくらかでも正当な部分があるならば、
この来賓のみならず、多くの日本人は、
オバマ大統領とは別の感覚で、この言葉を捉えてはいないだろうか。
 
もしそうだとすれば、
大変なことだ。
 
私たちは、アメリカを誤解することになるからだ。
「アメリカは、この危機を、やればできるとかけ声をかけているぞ」
という理解だと、
国際理解も何もないではないか。
政治的にも民間的にも、感情が衝突しそうである。
 
いったい、何のために英語を学んでいるのだろうか。
何のために、小学生にまで英語を課程として教え、
高校の英語教師には、
英語で授業をしろ、などと命じているのだろうか。
 
アメリカの国を大きく動かしている言葉の意味を、
誰もが分かったふりをしているだけではないのか。
 
国のために何ができるかを考えてくれ。
昔ケネディ大統領が訴えたことを、
オバマ大統領も Yes, we can. を叫ばせることで、
実践しているのではないか、と私は感じている。
 
「ボブとはたらくブーブーズ」という
子どものアニメがある。
そのテーマソングの終わりに、こういうのがある。
「ボブとブーブーズ、
 やってくれるかい?
 ――Yes, we can!」
 
少なくともこれは、「やればできる」ではない。