先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見における
中川元財務・金融相の醜態については、
衝撃的に映像が紹介されたこともあって、
もはやその職を続けていくことができなくなった。
 
病気のせいならば、責任という形ではなく、
不適任が同情的に求められる程度であっただろう。
 
しかし、それを狙った本人の弁明が、
あまり信用ならないこともちらほら報じられている。
こうなると、責任も問われて仕方がない。
任命した首相の汚点もまた増えることになる。
もっとも、ぼろ雑巾は、
少々汚れが増えようが、
何にも気にならないのかもしれないけれども。
 
経済危機にどういうことだ、というのは日本経済新聞。
当然だろう。
だが、政治危機と経済危機とはこの場合同一だ。
アメリカのように、政治に対する期待と信頼がある国とは違う。
日本は、全部同じになるべきだと腹で思っていながら、
それが危険であることも分かっているせいか、
なかなか一つの向きになれないのは、皮肉なのかもしれない。
 
政治だけではない。
治安の世界でも、法曹界でも、
聖職とさえ言われたことがある教育界でも、
そして聖職と言えばこれ以上のものはない、
牧師の肩書きをもってしまったひとの中にも、
目も当てられない醜態が多々出回っている。
それぞれに、危機なのである。
 
中川氏は、テレビ報道画面で、
自分の醜態を自分で見て、
それでこれはだめだと覚悟したともいう。
これまでも酒では度々醜態をさらしているのだが、
今度はかなり自覚できたのだろうか。
覚悟した後にまだ嘘を並べていたかどうかは別にして、
自分の姿を自分で知ると、少しはまともな判断ができるようになるようだ。
 
だとすれば、自分の姿が見えないままでは、
あらゆる危機も、壊滅へ一直線に走るだけだということか。