筑前町という名前ばかりが広まっているが、
2005年3月に、夜須町と三輪町が合併して生まれた町であるため、
三輪町というほうが私たちには馴染みがある。
比較的安全に生活できた隠れキリシタンの村(今村・現大刀洗町)が近くにある。

三輪中学校で、とんでもないことが起こってしまった。
悲しくてやりきれない。遺族の怒りには全面的に同調する。
調査中でもあり、事の判断はできるかぎり控えるが、
ここで取り上げたいのは、校長が、いったんは責任を認めた発言をしたのに、
翌日には、まだ因果関係は分からない、と撤回したことである。

もちろん推測に過ぎないが、
教育委員会などから、簡単に責任を認めるな、と言われたのではないか。
校長自身の判断は、できるだけ誠実に対応したかったのではないか、と思いたい。

今日、生徒たちに対して謝罪でもない弁明をしているが、そのときに、
まだ自分たちの責任を回避してばかりの言葉がぽろぽろと零れている。

中学校や教育委員会というところの考え方を、私はそれなりによく知っている。
骨折をしていた生徒をチェックせず、一日連れ回してそのことも忘れてそのまま帰し、
家庭へは何の連絡もなく、
しかもそのことをひた隠しにして平然とするのが、
中学校であり、教育委員会というところである。

こうした事件で表に出てくる、あの姿が、実情であるのは間違いない。
校長らは、すでに、マスコミ報道とは違うんだ、と生徒たちに話しているが、
多分、マスコミ報道以上というのが、生徒たちの感覚ではないだろうか。

このままでは、ますます生徒を傷つけないように配慮しなければならない雰囲気となり、
指導ができない、という現場の声もすでに出ている。
だが、人権侵害は指導ではない。
そして、その懸念を心配している方々は、心配しているくらいの配慮を、
当然しなければならないのに、今までしていなかった、と考えるほうが、
実情に合致することに気づくといい。

ただ、私たちは、あの中学だけを「いじめ」てはならない。
そうすると、彼らは、自分たちが被害者だと勘違いする。
彼らは、ますます自分が正当であると自信をもつに至るのだ。