子どもが刺殺された。
また、エスカレータでたいへんな事故に遭った。
その後の予断もできない状況だ。

重苦しい思いに包まれているのは、
私ばかりではないだろう。時代劇などでよく出てくるセリフだが、「赤子の手を捻るより簡単じゃのう……」という言葉が、私はたまらなく嫌いだった。自分の幼い子の腕を見つめたとき、どうしてこれを捻るのか、という想像に及ぶからである。たとえば、大人の女性を相手にできない男性が、自分の言いなりになりそうな幼女などに手を出す。小中学生を連れ回した若い男が次々と報道されている。出会い系とかなんとかがやり玉に挙がっているようだが、自分が何者かを支配下に置きたいという欲求を見過ごすと、このような事件は様々な別の形でまた起こること必定である。ついそこの中学校と言ってもよいところで、保健体育の男性講師が女子中学生に卑猥な質問をして全国ニュースになったのも、根は同じようなところにあると言えるのではないか。支配欲そのものが人間に微塵もあってはならない、とは言わない。だが、弱い者に対して優位に立っている自分の姿に快感を覚えるなど、おぞましいものだと考えたい。若い力士を殺したのも、似た方向性をもっていると言えないか。共謀して信徒を殺した新興宗教も。他人事ではない。とてつもないことをした、京都府の牧師もいた。守ってやれなかった自分を、守るべき親は責めていることだろう。50円などどうでもよかったのに、と親は泣いて祈っていることだろう。親にとって、子はかけがえがない。弱い存在も、かけがえがないからこそ、尊い。親の一人として、私もまた自分を責めたい。泣いて祈りたい。私は今日、「あなたはかけがえがないのだ」と子ども――職場も含めて――に対して、伝えられただろうか。私には愛がないと分かっているから、私自身が何かできるなどとは考えていない。ただ、私はこんなに全力であなたと共にいる、というふうにその人の真正面に立っていられたら、最高だ。それが、どちらを向いていようと。