文脈がどうであれ、
言葉尻を引用されるとなると、
気の毒な気もするが、
「(医師には)はっきり言って社会的常識が
かなり欠落している人が多い」
という麻生首相の発言は、
小さくない影響を与えそうである。
故郷の飯塚病院は麻生グループの経営である。
私の長男は、飯塚で怪我をしたとき、
ここで縫合してもらったことがある。
首相も、そこでのことが頭にあったようだ。
上に立つ者は、
ある特殊な場合だけを念頭に置いて
迂闊に評価の言葉を口に出してはならない。
様々な立場の人がいるのだから、
自分が排除されたのだと思われるケースがありうるのだ。
これは問題発言だということで、
官邸で慌てて陳謝をした。
「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、
申し訳ありません」
ああ、これがまたまずいのではないか。
ここはマスコミは突っ込んでいないけれども。
なぜって、この謝罪では、
「社会的常識がかなり欠落している人が多い」ことは、
否定されていないのだから。
それは事実であるのだけれども、中には「まともな」医師もいるから、
その人には迷惑をかけました、という意味なのである。
そもそも、通常人に向かって「まともな」という形容は用いないはず。
この言葉自体、人をバカにしている心理が丸見えである。
そして、「まともな」を使うときには、
当然「まともでない」存在を前提としているときに使うのだ。
言葉を知らないことは
このブログでもすでに取り上げたが、
この首相、これまでと同様、
自分は何とも感じていない「失言」を繰り返すことになるだろう。
そのときには、
首相が「まとも」であるかどうかが問われることになるだろう。
「医者は友達にもいっぱいいるが、おれたちと波長が合わないのが多い」
首相はそう言ったとも伝えられている。
波長が合わないのは、
相手が悪いとは限らない。
この首相と波長が合わないということは、
医師のほうが「まとも」だからではないか、と考える方が
正論であるような気がしてくるから不思議である。
なお、同じ日に、
全日本私立幼稚園PTA連合会全国大会でこの首相が何を言ったか、
そのことについては、また後日ここで取り上げることにしよう。
言葉尻を引用されるとなると、
気の毒な気もするが、
「(医師には)はっきり言って社会的常識が
かなり欠落している人が多い」
という麻生首相の発言は、
小さくない影響を与えそうである。
故郷の飯塚病院は麻生グループの経営である。
私の長男は、飯塚で怪我をしたとき、
ここで縫合してもらったことがある。
首相も、そこでのことが頭にあったようだ。
上に立つ者は、
ある特殊な場合だけを念頭に置いて
迂闊に評価の言葉を口に出してはならない。
様々な立場の人がいるのだから、
自分が排除されたのだと思われるケースがありうるのだ。
これは問題発言だということで、
官邸で慌てて陳謝をした。
「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、
申し訳ありません」
ああ、これがまたまずいのではないか。
ここはマスコミは突っ込んでいないけれども。
なぜって、この謝罪では、
「社会的常識がかなり欠落している人が多い」ことは、
否定されていないのだから。
それは事実であるのだけれども、中には「まともな」医師もいるから、
その人には迷惑をかけました、という意味なのである。
そもそも、通常人に向かって「まともな」という形容は用いないはず。
この言葉自体、人をバカにしている心理が丸見えである。
そして、「まともな」を使うときには、
当然「まともでない」存在を前提としているときに使うのだ。
言葉を知らないことは
このブログでもすでに取り上げたが、
この首相、これまでと同様、
自分は何とも感じていない「失言」を繰り返すことになるだろう。
そのときには、
首相が「まとも」であるかどうかが問われることになるだろう。
「医者は友達にもいっぱいいるが、おれたちと波長が合わないのが多い」
首相はそう言ったとも伝えられている。
波長が合わないのは、
相手が悪いとは限らない。
この首相と波長が合わないということは、
医師のほうが「まとも」だからではないか、と考える方が
正論であるような気がしてくるから不思議である。
なお、同じ日に、
全日本私立幼稚園PTA連合会全国大会でこの首相が何を言ったか、
そのことについては、また後日ここで取り上げることにしよう。