ずいぶん久しぶりに訪れた、書店。
カトリックの書店だが、
逆にカトリック関係の本は
こういうところでないと手に取れないことがある。
私はプロテスタント教会にずっと通っている。
カトリック教会は、あることで訪問したのと、
葬儀で参列したことがあるくらいで、
あとは書物や映像などで間接的に知っているというくらいだ。
プロテスタントの指導者の中には、
カトリックをそれこそ悪魔の組織のように見なす人もいないわけではないが、
私はなにも自分こそ唯一だとするようなセクト的な見方をするつもりもないし、
カトリックにもすばらしい人がいることをいろいろ知っていて、
それぞれがキリストのからだなのだろう、と思っていた。
聖書の解釈の点で、私自身は
カトリックの見解に与する気持ちにはなれなかったけれども、
かといってカトリックを異端視したり奇妙に偏って見たりするつもりは、
一応なかったといえる。
書店を訪れたのは、
五歳の息子と二人の道中であった。
「あっ、マリアだ」
最近、こどもの聖書を見て、しっかり覚えている。
私は、ある関係のよい本がないかと探したり、
クリスマスシーズンなので、
ちょっとしたプレゼントになるものがないかと探したりしていた。
息子は、最初DVDのケースを見ていたが、
私が誘うと、絵本のコーナーに来て見た。
目を離して、一、二分後のこと、
シスターかどうか知れないが書店のベテランの女性に、
息子が連れられて来た。
「鼻をほじほじされて、本を見ていたので、困るんです」
言葉はさほどきつくなかったが、
嫌悪感は伝わってきた。
私はまだ本を探す必要があったので、
息子から目を離さないようにした。
が、カウンターから刺すような視線が
ずっと差し向けられているのを感じたので、
何も買わずに出るほかなかった。
彼女の言うことはまさに正論だ。
商品を、不潔な手で触ることが
当然であるなどと言うことはできない。
売り物を傷つけるような行為は、厳に慎まなければならない。
バカ親が増えているわけで、
こんな息子を庇うとなると、
私もそのバカ親の先頭なのだろう。
ただ、息子のために少しだけ弁護をすると、
彼は洟を垂らしていたわけでもないし、
明らかに鼻くそをつけたということでもないはずだ。
そして、連れてこられたタイミングからすると、
殆どその行為の瞬間に駆け寄られ、連れてこられたのだと思う。
およそ万引き行為でも、これほど早く検挙されることは、少ないだろう。
繰り返し言うが、
仰ることは正論である。
ただ、子どものこと、鼻に手をやる癖があった、などと
言い訳したところで、
店の立場に立ってみれば、
許せない行為であっただろうことも、推察する。
しかし、私はそのとき、
ハッと気づかされたのだ。
これがカトリックだ、と。
ここのところ、マタイによる福音書を精読していて、
カトリックがどうしてマタイを特別に重んじているのか、
そのわけがだんだん見えてきたところであった。
罪深い客の親であったが、
聖人の使徒たちを崇めるマタイに弾かれ、軽蔑された
健気なクリスチャンたちの気持ちに、ふっと同化できた。
罪人を見るような眼差しを受けた後、
罪深い親は、無邪気な幼子を
決して叱ったり諭したりしないで、
今日の動物園は楽しかったね、という話をしながら帰った。
カトリックの書店だが、
逆にカトリック関係の本は
こういうところでないと手に取れないことがある。
私はプロテスタント教会にずっと通っている。
カトリック教会は、あることで訪問したのと、
葬儀で参列したことがあるくらいで、
あとは書物や映像などで間接的に知っているというくらいだ。
プロテスタントの指導者の中には、
カトリックをそれこそ悪魔の組織のように見なす人もいないわけではないが、
私はなにも自分こそ唯一だとするようなセクト的な見方をするつもりもないし、
カトリックにもすばらしい人がいることをいろいろ知っていて、
それぞれがキリストのからだなのだろう、と思っていた。
聖書の解釈の点で、私自身は
カトリックの見解に与する気持ちにはなれなかったけれども、
かといってカトリックを異端視したり奇妙に偏って見たりするつもりは、
一応なかったといえる。
書店を訪れたのは、
五歳の息子と二人の道中であった。
「あっ、マリアだ」
最近、こどもの聖書を見て、しっかり覚えている。
私は、ある関係のよい本がないかと探したり、
クリスマスシーズンなので、
ちょっとしたプレゼントになるものがないかと探したりしていた。
息子は、最初DVDのケースを見ていたが、
私が誘うと、絵本のコーナーに来て見た。
目を離して、一、二分後のこと、
シスターかどうか知れないが書店のベテランの女性に、
息子が連れられて来た。
「鼻をほじほじされて、本を見ていたので、困るんです」
言葉はさほどきつくなかったが、
嫌悪感は伝わってきた。
私はまだ本を探す必要があったので、
息子から目を離さないようにした。
が、カウンターから刺すような視線が
ずっと差し向けられているのを感じたので、
何も買わずに出るほかなかった。
彼女の言うことはまさに正論だ。
商品を、不潔な手で触ることが
当然であるなどと言うことはできない。
売り物を傷つけるような行為は、厳に慎まなければならない。
バカ親が増えているわけで、
こんな息子を庇うとなると、
私もそのバカ親の先頭なのだろう。
ただ、息子のために少しだけ弁護をすると、
彼は洟を垂らしていたわけでもないし、
明らかに鼻くそをつけたということでもないはずだ。
そして、連れてこられたタイミングからすると、
殆どその行為の瞬間に駆け寄られ、連れてこられたのだと思う。
およそ万引き行為でも、これほど早く検挙されることは、少ないだろう。
繰り返し言うが、
仰ることは正論である。
ただ、子どものこと、鼻に手をやる癖があった、などと
言い訳したところで、
店の立場に立ってみれば、
許せない行為であっただろうことも、推察する。
しかし、私はそのとき、
ハッと気づかされたのだ。
これがカトリックだ、と。
ここのところ、マタイによる福音書を精読していて、
カトリックがどうしてマタイを特別に重んじているのか、
そのわけがだんだん見えてきたところであった。
罪深い客の親であったが、
聖人の使徒たちを崇めるマタイに弾かれ、軽蔑された
健気なクリスチャンたちの気持ちに、ふっと同化できた。
罪人を見るような眼差しを受けた後、
罪深い親は、無邪気な幼子を
決して叱ったり諭したりしないで、
今日の動物園は楽しかったね、という話をしながら帰った。