自然

その言葉に、私たちは何を思うだろうか。

大自然。
人工に対する概念。
そのままにしていている様子。
理性に対する本能のようなもの。

実は、西洋哲学史をひもといても、
その時代や世界毎に、その概念は始終変化している。
ギリシア哲学からキリスト教哲学、啓蒙思想、
そして観念論から現代思想へ。

もちろん、日本など東洋の考えもまた違うものである。
「じねん」と読むことで、
ありのままにという考えを含み、
もとは道教ではないかと言われ、仏教的因果に対立するようでありながら、
親鸞はこれを自然法爾という言葉を使って
救いの教義を高めたというのではなかっただろうか。

前日、「普通」という言い方が
一般的な意味をなさず、
つねにその都度自分を正当化するために用いられることを確認したが、
「自然」という語も、
なんだかその時代やその主張者の考えを
さも正しいように聞こえさせるために
その変幻自在な意味を巧みに用いられているような気がしてならない。

自然保護という言葉でさえ、
胡散臭く聞こえる時があるのは、そのためである。
ただし、環境問題は基本的に人間自身の死活問題である点で、
むしろ切実な問題であると考えるのが筋道であるかもしれないが。