死刑確定から執行まで、三年ほど、と
以前より短い期間となっている。
刑事訴訟法では「確定から6カ月以内に執行」となっているが、
これが実際機能していないことは、誰もが知っている。
法務大臣の考えや立場については、今とやかく触れないことにする。

昨日死刑執行されたのは、宮崎勤死刑囚だけではない。
が、どうしても宮崎勤の名が、大きく取り扱われる。

それほどに、衝撃的な事件であった。

その残虐性をここで繰り返すつもりはない。
関係者の方々の苦しみは、癒されることがなく
今もなお、辛い思いを背負って生きていらっしゃる。
誰か代わりに背負ってくれる人がいたら、とさえ思う。

佐木隆三氏が、
この事件を当初からずっとレポートしてきてくれた。
裁判が長引いたのは、
その異常さから、精神鑑定がなされたからであり、
それが多用に解釈されたからであった。

鑑定次第では、死刑にも無罪にもなる。
解釈だけで、結果が天と地ほどの差になるのだ。
佐木氏自身は、詐病と感じているとのコメントがあった。

しかし、謝罪や反省の言葉は、ついになかった。
それは、本人にとって何ら「罰」になっていない、とも言われる。

宮崎勤は、いわば私の世代に属する。
だから、近年の際立った犯罪に関わる世代とは一線を画する。
似たところもあろうし、全然違うところもあることだろう。

自分が悪いことをした、という感覚が
完全に欠落しているというのは、通常は異常だと見なされる。
それはよほど特殊な人間ではないか、とも思われる。

だが、最近の小学生などの中にも、
私は時折感じることがある。
子どもだから云々というレベルを超えて、
自分が悪いことなどするはずがない、と確信している精神があることを。
彼らは、人は自分のルールに従うべきだが、
自分は一般のルールに従う必要は全くないと信じている。

言葉が伝わっているつもりでいたら、
こちらの言葉は全く通じていない、ということが
後で分かることがあるのだ。

分からない者には、まるで分からない。
全く分からない。
人間らしい感情や察知が、恐ろしいほどに欠けている者は、
たしかに世の中にいる。

私もそうした一人であったから、分かる面がある。
それは、どんな立場にある人にも、いるものである。
最近、牧師という名前の中にもたしかにいることが、
じわじわと発覚してきた。