いわゆる芸人が多々集まってがやがやというテレビ番組が多い。
そうした夜の時刻に家にいない私は、とんと縁がないし、
元来家でもそんな番組がかかることは稀だったのだが、
子どもが中学生ともなれば、そういう系統が流れることも珍しくなくなる。
昔から、あまり好きではなかった。
が、たしかにドリフターズを見て喜んでいたことはあるのだから、
なにも否んでいたというわけではない。
しかし、ひょうきん族あたりから、何かが変わってきたように感じた。
小さな子どもでも文句なしに喜べる内容ではなくなってきたのだった。
たしかに、ドリフターズでも、高木ブーは、いじめられキャラであっただろう。
だが、どこかブレーキはかかっていた。
そのブレーキがなくなり、とめどもなくいじめ続けるような構図が、
一般的になってきて今に至っていると感じるのは、漠然としすぎているだろうか。
南海キャンディーズの山ちゃんを騙すどっきり企画が延々と放映されていたようだ。
同じどっきりでも、その場でちょっと驚かせて、
2、3分後に、
なあんだ、というノリなら、まだ分からないでもない。
しかし、2週間にわたって、純情な気持ちを弄ぶような行為には、
笑おうという気持ちさえ起こらなかった。
それも、他の芸人が集団でそれを見て笑い、
視聴者もただ見物するだけである。
芸人はいじめられて銭がもらえるんやから、余計なお世話や!
そんなふうなことを書いた本を売った芸人もいた。
誰でもそんなこと普通するもんやないと分かっているんやから、と。
しかし、子どもたちは分かっていると言えるだろうか。
子どもたちには、芸人たちが手本となりかねないのだ。
いじめられる子どもは、銭がもらえるわけではないのだ。
いじめは、やっぱりなくならない、とため息が漏れた。
そうした夜の時刻に家にいない私は、とんと縁がないし、
元来家でもそんな番組がかかることは稀だったのだが、
子どもが中学生ともなれば、そういう系統が流れることも珍しくなくなる。
昔から、あまり好きではなかった。
が、たしかにドリフターズを見て喜んでいたことはあるのだから、
なにも否んでいたというわけではない。
しかし、ひょうきん族あたりから、何かが変わってきたように感じた。
小さな子どもでも文句なしに喜べる内容ではなくなってきたのだった。
たしかに、ドリフターズでも、高木ブーは、いじめられキャラであっただろう。
だが、どこかブレーキはかかっていた。
そのブレーキがなくなり、とめどもなくいじめ続けるような構図が、
一般的になってきて今に至っていると感じるのは、漠然としすぎているだろうか。
南海キャンディーズの山ちゃんを騙すどっきり企画が延々と放映されていたようだ。
同じどっきりでも、その場でちょっと驚かせて、
2、3分後に、
なあんだ、というノリなら、まだ分からないでもない。
しかし、2週間にわたって、純情な気持ちを弄ぶような行為には、
笑おうという気持ちさえ起こらなかった。
それも、他の芸人が集団でそれを見て笑い、
視聴者もただ見物するだけである。
芸人はいじめられて銭がもらえるんやから、余計なお世話や!
そんなふうなことを書いた本を売った芸人もいた。
誰でもそんなこと普通するもんやないと分かっているんやから、と。
しかし、子どもたちは分かっていると言えるだろうか。
子どもたちには、芸人たちが手本となりかねないのだ。
いじめられる子どもは、銭がもらえるわけではないのだ。
いじめは、やっぱりなくならない、とため息が漏れた。