9月10日を世界自殺予防デーというのだそうだ。
それで政府は、昨年、
毎年9月10日からの一週間を自殺予防週間と決めた。
「幅広い国民の参加による啓発活動を強力に推進」するとのことだ。
本人も辛いだろうが、
残された人も、たまらなく辛いことだろう。
自分を責め続けることになる、ともいう。
そういう虞のある人のことを気にかけ、
呼びかけていこうとする試みは、それ自体尊いことだと思うし、
社会的にもなんとかしていかなければならないのは確かだろう。
だが、苦悩の中にある当人は、
はたして、こんな週間をこしらえてほしいと思うのだろうか。
自分の気持ちも分かってはくれないくせに、
予防週間などを作り人助けに立ち上がる自称善人がたくさん現れるのだ。
たとえば、政治の不手際で生活苦に追い込まれたような人が、
政府の作ったこのような週間を喜ぶことがありうるだろうか。
「啓発運動」などと認識されたこの運動は、
苦難の中にいる人が「啓かれていない」ことを宣告していないだろうか。
こうしてこの話題に触れるだけでも、
私の発言が悪い刺激を与えないだろうか、と私は案じている。
無邪気に、こんな週間で啓発しようだなどという気は、起こらない。
それで政府は、昨年、
毎年9月10日からの一週間を自殺予防週間と決めた。
「幅広い国民の参加による啓発活動を強力に推進」するとのことだ。
本人も辛いだろうが、
残された人も、たまらなく辛いことだろう。
自分を責め続けることになる、ともいう。
そういう虞のある人のことを気にかけ、
呼びかけていこうとする試みは、それ自体尊いことだと思うし、
社会的にもなんとかしていかなければならないのは確かだろう。
だが、苦悩の中にある当人は、
はたして、こんな週間をこしらえてほしいと思うのだろうか。
自分の気持ちも分かってはくれないくせに、
予防週間などを作り人助けに立ち上がる自称善人がたくさん現れるのだ。
たとえば、政治の不手際で生活苦に追い込まれたような人が、
政府の作ったこのような週間を喜ぶことがありうるだろうか。
「啓発運動」などと認識されたこの運動は、
苦難の中にいる人が「啓かれていない」ことを宣告していないだろうか。
こうしてこの話題に触れるだけでも、
私の発言が悪い刺激を与えないだろうか、と私は案じている。
無邪気に、こんな週間で啓発しようだなどという気は、起こらない。