人を説得するのには、
数字をうまく使えば効果的、などという。
数字の魔術は、
人を信用させる力の強さから言われるのかもしれない。
統計の数字だから、信用がおける、と言う人がいる。
だが、統計の集め方自体に、仕掛けがあるかもしれない。
どこか誘導的に、こう答えざるをえない、というふうな
トリックがあることもしばしばしだ。
平均の数値を当然の数字だと理解する人もいる。
サラリーマンの平均収入を聞いて、
がっかりすることはないだろうか。
うちはそんなにもらってない、と。年収100万円の人が9人いるとする。年収9100万円の人が1人いるとする。この10人の平均年収はいくらだろうか。1000万円が平均なのである。だが、9人の人は、そんなに年収はない、と思う。誰の実感にも合わない、幻の「平均」なのだ。ハゲの人は長生きする、と言われることがある。髪の多い人が、長生きして年をとったときに、ハゲる人がいるからだ。長生きしないと、ハゲないケースがあるからなのだ。シートベルトをしなくても大丈夫だった、という声をよく聞く。自分はシートベルトを締めていなかったが、なんということはなかった、というのだ。そのはずである。シートベルトを締めていなくて、事故に遭遇した人は、もう命がなく、証言することができないのだ。「自分は締めていなくて事故に遭ったが、死んじゃったんだ」などと口にする人は、存在しないのだ。反対する意見が現れないからと言って、反対者がいないわけではあるまい。言いたくても、立場上、言えないということがあるのだ。こういうのを、パワーハラスメントと言うのだが、わが子を預けている親に対して、学校などが、高飛車になるのも、そういうことだ。最近は、わがままな親がいるとして、馬鹿親、などと言って学校側が被害者のような顔をしているが、それに対して偽装と犯罪の学校という例もあるわけだ。「質問はありませんか」教師のこの言葉に反応がなかったからと言って、質問がないはずはない。どう訊いてよいか、分からなかったり、訊くと何かよくないことが起こると予想して、しないことがあるのは殆ど常識である。声なき声が聞こえるようになったら、リーダーとして一流だと言えることだろう。
数字をうまく使えば効果的、などという。
数字の魔術は、
人を信用させる力の強さから言われるのかもしれない。
統計の数字だから、信用がおける、と言う人がいる。
だが、統計の集め方自体に、仕掛けがあるかもしれない。
どこか誘導的に、こう答えざるをえない、というふうな
トリックがあることもしばしばしだ。
平均の数値を当然の数字だと理解する人もいる。
サラリーマンの平均収入を聞いて、
がっかりすることはないだろうか。
うちはそんなにもらってない、と。年収100万円の人が9人いるとする。年収9100万円の人が1人いるとする。この10人の平均年収はいくらだろうか。1000万円が平均なのである。だが、9人の人は、そんなに年収はない、と思う。誰の実感にも合わない、幻の「平均」なのだ。ハゲの人は長生きする、と言われることがある。髪の多い人が、長生きして年をとったときに、ハゲる人がいるからだ。長生きしないと、ハゲないケースがあるからなのだ。シートベルトをしなくても大丈夫だった、という声をよく聞く。自分はシートベルトを締めていなかったが、なんということはなかった、というのだ。そのはずである。シートベルトを締めていなくて、事故に遭遇した人は、もう命がなく、証言することができないのだ。「自分は締めていなくて事故に遭ったが、死んじゃったんだ」などと口にする人は、存在しないのだ。反対する意見が現れないからと言って、反対者がいないわけではあるまい。言いたくても、立場上、言えないということがあるのだ。こういうのを、パワーハラスメントと言うのだが、わが子を預けている親に対して、学校などが、高飛車になるのも、そういうことだ。最近は、わがままな親がいるとして、馬鹿親、などと言って学校側が被害者のような顔をしているが、それに対して偽装と犯罪の学校という例もあるわけだ。「質問はありませんか」教師のこの言葉に反応がなかったからと言って、質問がないはずはない。どう訊いてよいか、分からなかったり、訊くと何かよくないことが起こると予想して、しないことがあるのは殆ど常識である。声なき声が聞こえるようになったら、リーダーとして一流だと言えることだろう。