フジテレビが、江原啓之の出演番組を非科学的と断じた。
「FNS27時間テレビ」の中での勝手な霊視の問題で、
番組制作が誤っていたことを認め、その霊的行為を
「非科学的、荒唐無稽な霊視」と称したという。
霊視を信じ込ませるようなことはしていない、と弁明するなど、
まだ自己認定において甘いのは甘いが、
さしあたりそれがいけないことであった、と認めたことには意味がある。
他のテレビ局が、依然として江原をもちあげており、
出版社が、まだ金のなる木としてちやほやしているのと比べると、
いくらかまともな判断をしたことになるだろう。フジテレビは、昨年末に、江原の特別番組を制作しているが、その後はノータッチのようだ。これまで10回にわたり放送されてきた「江原啓之スペシャル 天国からの手紙」を今後は放送できなくなるということなのだろう。すでに社内でストップがかかっているものと思われる。つまり、今回のこの発表へ向けて着実な準備が進められてきたのだ。これは、フジテレビが立派なのか、というと、それは分からない。これは明らかに、今なお江原をもてはやしている、朝日局を叩くための行為だとも言えるからだ。これまで思う存分江原を擁護し、それで視聴率を稼いできたフジテレビが、テレビ朝日の「オーラの泉」という番組を潰すために、大がかりな裁定を下したと見ることもできるのだ。だからこれは、テレビ局同士の、あるいは背後の新聞社同士の思惑で動いている現象であるのかもしれない。その意味では、この霊視問題が、根底から揺らぐようには思えない。オウムも気味悪がられながらも活動を続けることができ、あげくに殺人集団となった。幸福の科学も、相変わらず奇天烈な世界像を言い放っているが、誰も咎めることがない。個人の幻想によるのみで空想されたものに、どうしてこうも簡単に人々は没入してしまうのだろうか。こういうものは、昔からその都度現れては、消えているのだ。商業主義に乗ると、売れるものが正義であるかのように見なされていく。とくに、子どもたちへの悪影響は計り知れない。江原がブレイクする前に、たまたま私は彼の本を見た。教育を論じた本であったが、そのとき一目見て、これは危ない思い込みの世界だと感じた。その直感は、外れていなかったと今にして思う。個人あるいは小さな集団の思い込みに呑み込まれ、国全体が破滅へと動いていった戦争の歴史も、再考に値するものと思う。
「FNS27時間テレビ」の中での勝手な霊視の問題で、
番組制作が誤っていたことを認め、その霊的行為を
「非科学的、荒唐無稽な霊視」と称したという。
霊視を信じ込ませるようなことはしていない、と弁明するなど、
まだ自己認定において甘いのは甘いが、
さしあたりそれがいけないことであった、と認めたことには意味がある。
他のテレビ局が、依然として江原をもちあげており、
出版社が、まだ金のなる木としてちやほやしているのと比べると、
いくらかまともな判断をしたことになるだろう。フジテレビは、昨年末に、江原の特別番組を制作しているが、その後はノータッチのようだ。これまで10回にわたり放送されてきた「江原啓之スペシャル 天国からの手紙」を今後は放送できなくなるということなのだろう。すでに社内でストップがかかっているものと思われる。つまり、今回のこの発表へ向けて着実な準備が進められてきたのだ。これは、フジテレビが立派なのか、というと、それは分からない。これは明らかに、今なお江原をもてはやしている、朝日局を叩くための行為だとも言えるからだ。これまで思う存分江原を擁護し、それで視聴率を稼いできたフジテレビが、テレビ朝日の「オーラの泉」という番組を潰すために、大がかりな裁定を下したと見ることもできるのだ。だからこれは、テレビ局同士の、あるいは背後の新聞社同士の思惑で動いている現象であるのかもしれない。その意味では、この霊視問題が、根底から揺らぐようには思えない。オウムも気味悪がられながらも活動を続けることができ、あげくに殺人集団となった。幸福の科学も、相変わらず奇天烈な世界像を言い放っているが、誰も咎めることがない。個人の幻想によるのみで空想されたものに、どうしてこうも簡単に人々は没入してしまうのだろうか。こういうものは、昔からその都度現れては、消えているのだ。商業主義に乗ると、売れるものが正義であるかのように見なされていく。とくに、子どもたちへの悪影響は計り知れない。江原がブレイクする前に、たまたま私は彼の本を見た。教育を論じた本であったが、そのとき一目見て、これは危ない思い込みの世界だと感じた。その直感は、外れていなかったと今にして思う。個人あるいは小さな集団の思い込みに呑み込まれ、国全体が破滅へと動いていった戦争の歴史も、再考に値するものと思う。