NHKのラジオ深夜便をよく聞いている。
そういう年齢になったのかもしれないが、
聞いていて、
自分の糧になるようなものを求めたら、
こういう選択になってしまったということだろう。
1948年に国連で世界人権宣言が採択されたことを契機に、
日本でもこの12月10日までの一週間を
人権週間と定めたという。
私は小学生のころ、人権週間のポスターを描きましょう、と言われ、
よく分からないままに何か描いたら、
何がどう良かったのか知らないが、
県に出品されて入賞したという、妙な経験がある。
そのとき、人権の何を理解していたか、それは無に等しい。
ラジオ深夜便で、
この人権に関するインタビューが今連日放送されている。
人権を、奪われた――と言っていいのか分からないが、
いわば虐げられた側の人に、長いインタビューがなされ、
それを1時間弱、ノンストップで放送している。
とても聞いていられないほどの辛い出来事である。
こんな話、放送されたことがこれまであったのか、とさえ思う。
よくそ、語ってくださったものだとありがたく思う。
だから、聞く方も、しっかり聞くことにしている。
ふと、翌朝になって、思ったことがあった。
テレビドラマや映画では、
事件の犯人は、自分の罪を素直に認め、反省したり、悔しがったりする。
時代劇ではさらに潔く、自ら腹を切るようなこともある。
たんなる推理であったり、
目撃者の証言だけであったりすることで、
犯人は観念して、死刑台へ赴くのである。
それはドラマだからだ、と言えばそれまでである。
物語の中では、犯罪者は実に潔い。
しかし、現実はそうではない。
犯人は容疑を認めない。
黙秘を行い、なんとか命を勝ち取って、
最後に被害者家族に罵声を浴びせてせせら笑った――
そういうのが昨夜の内容であった。
こういうふうであるから、現実の被害者やその家族は、
地獄の苦しみを浴びることになる。
さらにその被害者サイドを、一般大衆の匿名の市民が、
無邪気にいじめることを寄ってたかって行うのも現実である。
果たして、安易なドラマがそれとの落差を大きくしているのか、
それとも、人間はもっと潔くならなければならない、と教えているのか、
その辺りのことは、私が判断する立場にはない。
犯罪者は人権を守られることになり、
被害者は人権を完全に奪い去られる。
それを奪った犯罪者は、徹底的に保護される。
心神喪失だという実に曖昧な判定で無罪になることもある。
人間の裁きは、もちろん不完全である。
だからまた、せいぜい専門教育を受けた者でないと、
そのある意味で汚れ役は果たせまい。
裁判員制度は、私の目には、うまく機能するとは思えないのだが。
そういう年齢になったのかもしれないが、
聞いていて、
自分の糧になるようなものを求めたら、
こういう選択になってしまったということだろう。
1948年に国連で世界人権宣言が採択されたことを契機に、
日本でもこの12月10日までの一週間を
人権週間と定めたという。
私は小学生のころ、人権週間のポスターを描きましょう、と言われ、
よく分からないままに何か描いたら、
何がどう良かったのか知らないが、
県に出品されて入賞したという、妙な経験がある。
そのとき、人権の何を理解していたか、それは無に等しい。
ラジオ深夜便で、
この人権に関するインタビューが今連日放送されている。
人権を、奪われた――と言っていいのか分からないが、
いわば虐げられた側の人に、長いインタビューがなされ、
それを1時間弱、ノンストップで放送している。
とても聞いていられないほどの辛い出来事である。
こんな話、放送されたことがこれまであったのか、とさえ思う。
よくそ、語ってくださったものだとありがたく思う。
だから、聞く方も、しっかり聞くことにしている。
ふと、翌朝になって、思ったことがあった。
テレビドラマや映画では、
事件の犯人は、自分の罪を素直に認め、反省したり、悔しがったりする。
時代劇ではさらに潔く、自ら腹を切るようなこともある。
たんなる推理であったり、
目撃者の証言だけであったりすることで、
犯人は観念して、死刑台へ赴くのである。
それはドラマだからだ、と言えばそれまでである。
物語の中では、犯罪者は実に潔い。
しかし、現実はそうではない。
犯人は容疑を認めない。
黙秘を行い、なんとか命を勝ち取って、
最後に被害者家族に罵声を浴びせてせせら笑った――
そういうのが昨夜の内容であった。
こういうふうであるから、現実の被害者やその家族は、
地獄の苦しみを浴びることになる。
さらにその被害者サイドを、一般大衆の匿名の市民が、
無邪気にいじめることを寄ってたかって行うのも現実である。
果たして、安易なドラマがそれとの落差を大きくしているのか、
それとも、人間はもっと潔くならなければならない、と教えているのか、
その辺りのことは、私が判断する立場にはない。
犯罪者は人権を守られることになり、
被害者は人権を完全に奪い去られる。
それを奪った犯罪者は、徹底的に保護される。
心神喪失だという実に曖昧な判定で無罪になることもある。
人間の裁きは、もちろん不完全である。
だからまた、せいぜい専門教育を受けた者でないと、
そのある意味で汚れ役は果たせまい。
裁判員制度は、私の目には、うまく機能するとは思えないのだが。