相撲部屋の暴行死の報道が、ワイドショーなどを賑わせている。
漏れ伝わってくる話だけでも、実にいたましい。
運動部の理不尽さを少しでも知っていると、
プロの相撲の世界でも、暴力は日常的であることが、
容易に推測される。
それにしても、死者を出すというのは、どういうことなのか。

相撲協会の対応は、非常に組織的なので、見ていて分かりやすい。
組織の体面こそが第一であることが、よく伝わってくる。
文部科学大臣が呟いていたように、
まず遺族への謝罪や誠意を示すことこそ第一ではないのか、
それが普通であろう。
相撲協会には、それが抜け落ちている。
いや、これは、そこらの学校組織にすら自然と根付いている考え方である。

中学三年生の国語の教材に、「しごき」についての文章があった。
今年の、大濠高校の入試問題である。
今年亡くなった河合隼雄氏の文章であった。
やや論理に飛躍があって少々読みづらく、
だからこそ入試問題に適切であるかもしれなかった。

そこでは、日本と西洋の考え方の対比が、例によってなされており、
「いじめ」と「しごき」との関連が説かれていた。
精神を鍛えるために、型を押しつけるのが日本流だというのである。
そこにあるのは苦しみであり、それを乗りこえてこそ修行が成り立つ。
対して、西洋では、人間を伸ばすことに重点を置くので、
そこには楽しさが基本的に存在するのだという。

挫折していった日本人選手の中には、
日本的しごき(いじめ)の犠牲になった人も、
相当にいるのではないか、と文章は結んでいる。

この相撲の暴行事件とは、まさに
そのあたりの実例ではないか、と思い当たった。
こうして、政治家とカネとの問題が次々に明らかにされるように、
あちこちの相撲部屋で、暴力が当然であることが
世間に晒されることとなっていく。

メールなどを通じていじめに走り、
ついに自殺者を出したT高校のことも最近よく報じられたが、
相撲の場合には、隠蔽工作も様々になされていた。
そこが、大人の知恵であろう。
いじめと呼ぶより、やはりこれは犯罪である。

朝昇龍のように、
元気にサッカーをしている姿のほうが、
健康的にすら見えないだろうか。