まさかこんな学校がすべてではないだろう、とも思いたいが、
危機管理やいじめについて
信じられないような対応を平然と行う中学校について、
あることに気づいてきた。
ほんとうに、感覚がずれすぎている。
世論や、親の気持ちから、あまりにもずれたことをするし、
厚顔にも嘘を平気でつく。
それは、学校が専ら「ビジネス」をしているからだ、と気づいた。
「ビジネス」としての対応だと理解すると、
学校のやっていることが、ほぼ理解できる
生徒や人の気持ちでなく、
組織――多分に、学校責任者の立場――の利益や責任回避を徹底的に優先し、
そのために嘘や隠蔽工作を駆使する。
保護者は、「教育」をしてくれている、と思いこんでいる。
しかし、教育関係者(必ずしも現場の教諭すべてを指してはいない)はビジネスライクな思考しかしていない。
だから、根底からずれるのだ。
(現場の教師は、やりたいことも、締め付けられてやれずに苦しいということがあり、同情を禁じ得ない。校長や教頭の奴隷にしかなれないのは、気の毒すぎる。)
コンセプトが違うのだから、話がかみ合うはずがない。
預ける親は「教育」を想定し、期待している。
学校はひたすら「ビジネス」を遂行している。
皮肉なものだが、本来「ビジネス」でしかない学習塾のほうが、
えてして親に信頼されており、いじめも稀である。
塾は利益のために、誇張した話はするが、嘘はつかない。
合格実績が出なければ、いつでも辞表を出す、という気概の責任者も多い。
その熱意は通じるから、生徒も、塾教師の言うことを信頼する。
親の要望は、できないことはお断りするが、
一カ所に数百人を抱える塾であっても、たいていは、全職員に徹底するよう指示が行く。
その一人のために時間を割くことを惜しまない。
塾のほうが、「教育」の目的に近いところに存在するのが現状である。
教育屋であるはずの塾が、今や教育家となっているみたいだ。
危機管理やいじめについて
信じられないような対応を平然と行う中学校について、
あることに気づいてきた。
ほんとうに、感覚がずれすぎている。
世論や、親の気持ちから、あまりにもずれたことをするし、
厚顔にも嘘を平気でつく。
それは、学校が専ら「ビジネス」をしているからだ、と気づいた。
「ビジネス」としての対応だと理解すると、
学校のやっていることが、ほぼ理解できる
生徒や人の気持ちでなく、
組織――多分に、学校責任者の立場――の利益や責任回避を徹底的に優先し、
そのために嘘や隠蔽工作を駆使する。
保護者は、「教育」をしてくれている、と思いこんでいる。
しかし、教育関係者(必ずしも現場の教諭すべてを指してはいない)はビジネスライクな思考しかしていない。
だから、根底からずれるのだ。
(現場の教師は、やりたいことも、締め付けられてやれずに苦しいということがあり、同情を禁じ得ない。校長や教頭の奴隷にしかなれないのは、気の毒すぎる。)
コンセプトが違うのだから、話がかみ合うはずがない。
預ける親は「教育」を想定し、期待している。
学校はひたすら「ビジネス」を遂行している。
皮肉なものだが、本来「ビジネス」でしかない学習塾のほうが、
えてして親に信頼されており、いじめも稀である。
塾は利益のために、誇張した話はするが、嘘はつかない。
合格実績が出なければ、いつでも辞表を出す、という気概の責任者も多い。
その熱意は通じるから、生徒も、塾教師の言うことを信頼する。
親の要望は、できないことはお断りするが、
一カ所に数百人を抱える塾であっても、たいていは、全職員に徹底するよう指示が行く。
その一人のために時間を割くことを惜しまない。
塾のほうが、「教育」の目的に近いところに存在するのが現状である。
教育屋であるはずの塾が、今や教育家となっているみたいだ。