何がきっかけになるか分からない。
爆弾は、いつでも身近なところにある。
何かの拍子に火がつけば、たちどころに燃え上がる。

人間関係も不思議なものである。
長らく耐えに耐えていける関係もあれば、
一方がいつ切れるか、チャンスを待っているようなこともある。
互いにうわべだけだという意識に気づかないで、
あるとき爆発して、それと気づくこともある。

今までがどうだったから、今後もこうだろう、
そんな公式は、ない。科学と異なるところだ。

神と人間との間にも、そんなずれが起こっていた。
人間は、神を否定した、と自分では思っていた。
だが実のところ、神を否定してはいなかった。
神の位置に、自分自身を置いたのであった。

聖書にも、そのような人間の姿が、余すところなく描かれている。
聖書という文字がよいのかわるいのか分からないが、
中身は「聖」どころの騒ぎではない。
人間が求めた聖なるものが、人間の外にしかない、ということは確かなのだが。

そばにいる、その人の心さえ、分からないし、
それを変えさせる力が、自分にはない。
弱さを抱えていることを自覚すれば、
そこによい知らせがやってくる。
それが、聖書のメッセージの一つである。