物知りだという喋り方をする人がいる。
物事をよく知っているかのように見せる方法を、
弁えているからだ。
教師としての秘密でもあるから、
あまり明かしたくはないのだが、
けっこう誰もが知っていることでもあるので、
はっきり言ってしまおうと思う。
それは、あるテーマを話題にしたときにも、
とにかく自分がよく知っていてやたら詳しいこと「だけ」を
熱心にまくしたてるのだ。
その話は、それなりに面白い。
だから、よほど元のテーマの深いところにこだわって
追及するような野暮な真似を誰かがしないかぎり、
話し手は安泰の中で、
自分の得意な話題を滔々と語り続けることができるのだ。
しかししょせん、それは話し手の語りに過ぎない。
ときに、優秀な生徒は、
その話の背後にある、問題の解き方や考え方、
背景に広がる知識の海へも、目を向けてくれる。
その教師は、名教師であると言われるかもしれない。
だが、平凡な生徒は、
その話し手の語りを喜び、ただそれだけに夢中になる。
先生の話す冗談やギャグ、
あるいは脱線した話ばかり、
私たちの記憶には強く残っているものである。
もしも、
このような脱線話にばかり終始する教師がいたら、どうだろう。
たとえばまともな数学の問題の解き方を示すよりも、
数学者のエピソードや面白いパズルばかり紹介していたとしたら、
生徒に全うな学力がつくようには思えない。
エピソードは、潤滑油であったり、
定理の理解の方便であったりする程度であるはずなのだ。
おそらくその教師は、
まともに数学ができないのに違いない。
だから、別の話で、ごまかすのだ。
なるべくまともな数学の話をするのをなるべく避けて、
自分の得意なところだけを話すことで、
物知りだという顔をしていたいだけなのだ。
自分が感動した話や、自分の尊敬する人のエピソードばかり
しょっちゅう聞かされて続けていると、
一部の生徒はそのうち気づいてくるだろう。
この教師は偽物だ、と。
多くの生徒が騙されたままであるにしても、
心ある生徒は、それが偽物であることを、看破してしまうのだ。
物事をよく知っているかのように見せる方法を、
弁えているからだ。
教師としての秘密でもあるから、
あまり明かしたくはないのだが、
けっこう誰もが知っていることでもあるので、
はっきり言ってしまおうと思う。
それは、あるテーマを話題にしたときにも、
とにかく自分がよく知っていてやたら詳しいこと「だけ」を
熱心にまくしたてるのだ。
その話は、それなりに面白い。
だから、よほど元のテーマの深いところにこだわって
追及するような野暮な真似を誰かがしないかぎり、
話し手は安泰の中で、
自分の得意な話題を滔々と語り続けることができるのだ。
しかししょせん、それは話し手の語りに過ぎない。
ときに、優秀な生徒は、
その話の背後にある、問題の解き方や考え方、
背景に広がる知識の海へも、目を向けてくれる。
その教師は、名教師であると言われるかもしれない。
だが、平凡な生徒は、
その話し手の語りを喜び、ただそれだけに夢中になる。
先生の話す冗談やギャグ、
あるいは脱線した話ばかり、
私たちの記憶には強く残っているものである。
もしも、
このような脱線話にばかり終始する教師がいたら、どうだろう。
たとえばまともな数学の問題の解き方を示すよりも、
数学者のエピソードや面白いパズルばかり紹介していたとしたら、
生徒に全うな学力がつくようには思えない。
エピソードは、潤滑油であったり、
定理の理解の方便であったりする程度であるはずなのだ。
おそらくその教師は、
まともに数学ができないのに違いない。
だから、別の話で、ごまかすのだ。
なるべくまともな数学の話をするのをなるべく避けて、
自分の得意なところだけを話すことで、
物知りだという顔をしていたいだけなのだ。
自分が感動した話や、自分の尊敬する人のエピソードばかり
しょっちゅう聞かされて続けていると、
一部の生徒はそのうち気づいてくるだろう。
この教師は偽物だ、と。
多くの生徒が騙されたままであるにしても、
心ある生徒は、それが偽物であることを、看破してしまうのだ。