塾の中学生のあるクラスで、
保護者からこういうクレームが来たことがある。
「授業がうるさい」
ままあることではある。
うるさいというのと、活発であるというのとでは、
紙一重である。
しーんと静まりかえっていればそれでよいのか、というと
必ずしもそうではない。
適切な反応は、授業を実りのあるものにする。
が、この場合、問題点がきちんと指摘されていた。
「うるさい」→「教師が怒る」→「授業が中断する」
これが何度も繰り返されるのがたまらない、というのだ。
これは、的確なクレームである。そのクラスは、新人教師やそれに近い教師の担当教科が多かった。生徒も、4月に新しく出会った教師を、様々な方法で試してきているわけで、もしかすると、うまく生徒にしてやられたのかもしれない。騒いでいるのは、男子というよりも、むしろ女子なのだそうだ。喋る生徒には厳しく対処したい、と新人に近い教師が対策を述べた。場合によっては辞めてもらうことまで告げて話をしたい、と。私は、少し違うのではないか、という気がした。というのは、その該当生徒は去年少しの間担当したことがあるが、いわゆるワルなどでは決してないからだ。私は心の中で自戒しながら、アドバイスした。正論すぎるかもしれないが、教師がよい授業をすることが一番大切。授業を受けるために生徒の家庭はお金を払い、生徒はここに来ている。よい授業を与えてそれに引き入れることが最善の解決方法である。怒るにしても、感情で怒ることはいけない。熱くなればなるほど、生徒からは滑稽に見え、ますますあの教師はダメだというふうに見られる。怒るならば、心は完全に冷えて冷静である状態で思い切り怒るようにすべきだ。すると、質問が来た。それは難しい、と。私は、言った。「オレはこの生徒が好きだ~と心の中で叫びながら怒るのだ」精神論ばかりではいけないが、やはりハートは大切である。子どもは、(語弊はあるだろうが)大人よりもいくぶん動物に近い。自分にとり、敵か味方かを直感的に判断する。自分のことを大切にしてくれるかどうか、言葉にならない方法で感じとり、反応する。心の嘘は、見られてしまうのだ。いくら怒鳴っても、叱っても、そこに愛情があると感じられたならば、それはちゃんと伝わるものだ。ごく一部、その例外はあるものだが、教師として、精神的にベストを尽くすことはどうしても必要なのだと思う。
保護者からこういうクレームが来たことがある。
「授業がうるさい」
ままあることではある。
うるさいというのと、活発であるというのとでは、
紙一重である。
しーんと静まりかえっていればそれでよいのか、というと
必ずしもそうではない。
適切な反応は、授業を実りのあるものにする。
が、この場合、問題点がきちんと指摘されていた。
「うるさい」→「教師が怒る」→「授業が中断する」
これが何度も繰り返されるのがたまらない、というのだ。
これは、的確なクレームである。そのクラスは、新人教師やそれに近い教師の担当教科が多かった。生徒も、4月に新しく出会った教師を、様々な方法で試してきているわけで、もしかすると、うまく生徒にしてやられたのかもしれない。騒いでいるのは、男子というよりも、むしろ女子なのだそうだ。喋る生徒には厳しく対処したい、と新人に近い教師が対策を述べた。場合によっては辞めてもらうことまで告げて話をしたい、と。私は、少し違うのではないか、という気がした。というのは、その該当生徒は去年少しの間担当したことがあるが、いわゆるワルなどでは決してないからだ。私は心の中で自戒しながら、アドバイスした。正論すぎるかもしれないが、教師がよい授業をすることが一番大切。授業を受けるために生徒の家庭はお金を払い、生徒はここに来ている。よい授業を与えてそれに引き入れることが最善の解決方法である。怒るにしても、感情で怒ることはいけない。熱くなればなるほど、生徒からは滑稽に見え、ますますあの教師はダメだというふうに見られる。怒るならば、心は完全に冷えて冷静である状態で思い切り怒るようにすべきだ。すると、質問が来た。それは難しい、と。私は、言った。「オレはこの生徒が好きだ~と心の中で叫びながら怒るのだ」精神論ばかりではいけないが、やはりハートは大切である。子どもは、(語弊はあるだろうが)大人よりもいくぶん動物に近い。自分にとり、敵か味方かを直感的に判断する。自分のことを大切にしてくれるかどうか、言葉にならない方法で感じとり、反応する。心の嘘は、見られてしまうのだ。いくら怒鳴っても、叱っても、そこに愛情があると感じられたならば、それはちゃんと伝わるものだ。ごく一部、その例外はあるものだが、教師として、精神的にベストを尽くすことはどうしても必要なのだと思う。