受難週に入っている。
世は何も変わらないが、
二千年近く昔のこの季節、
世界を変えた出来事があった。

素朴な物語としても、
それは繰り返し伝えられる。
真実の姿からは、もしかすると
だいぶ脚色されているという虞は十分ある。
それでも、たぶん、
私たちの想像以上の惨さであったのだろうと思う。
さらに、当時はそれが特別惨いことではない、として
理解されていたであろうことも、想像がつく。
殊更なることとして歴史に記録されていないのだ。
それとも、たんにそういう歴史が、
伝える証拠を失っているというだけなのだろうか。

私たちには、
もはやどんな想像力も、
こうしたらこうなるという推論の力も、
満足にはたらかないようになってきているのではないか。

今週、そんな問題の結論は出ないにしても、
思いめぐらせてみたいと考えている。