8日朝、中学校からの電話で起こされた。

私が再三送っているメールに関してである。
私が寄せているのは、単純な質問であった。

1.文部科学大臣からの通知で、いじめに対する学校の姿勢を保護者や地域へ知らせるように、とあるのに、保護者に一言も知らせないのはなぜか。知らせてほしい。

2.現在いじめで思い悩んでいる生徒がいるのではないか。いれば緊急性を要するのに、半月後に会議をして、知らせるかどうか話し合う、という。のんびりしすぎているのではないか。

対外交渉は教頭の役目である。校長はそういう能力がない。
それでも、教頭は、「いろいろ」やっています、とか、「対応」しています、とか、内容のない言葉ばかりを連ねた。私はそのことを指摘したが、その弁解に、また「いろいろ」を多用していた。

【伊吹文科相は17日午後、子供と大人に向けた二つの緊急メッセージを出し、文部科学省は全国の教育委員会に、メッセージをすべての小中高校生に配布するよう要請した。(読売新聞)】
これは、11月17日という意味である。
しかし、この中学校では、これのコピーを、12月に入ってから配付した。
教頭の話では、東京から印刷物が回ってくるのに半月かかったという。
同じ文書がネットではすぐにダウンロードできたのに。
これが、教育の世界の「緊急」である。

その二週間の間に、何人の子が全国で自殺したと思うのか。
人の命を、なんだと思っているのか、と言いたい。
たしかに、あのようなメッセージが、何の役に立ったのか、分からないが、
それなりに公的な宣言であり公的な責任を位置づけるという意味があるのに、
現場はそれを無視するような恰好である。

1.については、どうにも、文書で何かを示すのは拒否したい、という姿勢がとことん見られた。
責任が伴うことを恐れているのだろうと推測する。あの通知には素直に従えないそうだ。
2.について、「ない」ときっぱり言い切った。経過を観察しているというのはあるが、深刻に悩んでいる生徒はいない、と。これは珍しくはっきり言った。だから、緊急性はない、と。

2.について、深刻な生徒が、実は、いる。我が子ではないが、よく知っている子である。精神的にいじめられているのだが、心身的にまいっている。
何度か念を押したが、「現在進行形はない」と、電話で宣言されたとき、私は怒り心頭であった。
が、さしあたり我慢した。

その保護者からは再三――そして多分今週も――訴えがなされているのである。
これをどう解釈するか、二つしかないと思う。
・担任などが校長や教頭に知らせていない、あるいは訴えを握りつぶしている。
・教頭が嘘をついた。つまり隠蔽した。
それとも、こうだろうか。
・事実は知っている。でも、それはいじめではない。
あるいは、こうなのか。
・そういういじめがあった。だが、もうそれは解決済みで終わった話なのだ。

電話では最初に、
何か私のほうがいじめの情報を知っているがゆえに、いじめ問題について
問いつめてきているのではないか、ということを聞き出そうとしてきた。
意図は見え見えであった。
それをなんとか聞き出したくて、電話をしてきたのだ。
だから、メールはやめて話し合いましょう、としきりに言うのである。
もちろん、証拠を残したくないからであるのだが。
私はそれをきれいにかわした。

私が現在のいじめの状況を知らないという前提で、
学校に、いじめに対する明確な態度を宣言させなければならないからだ。

でないと、このいじめについても、個々のケースとして、陰でごまかされてしまう。
「何でも話し合いましょう」ともちかけるのは、
「委細面談」で言いくるめるためである。

「給料については委細面談。行ってみると、これしか出せない、と説得される」
それと同じだと言うと、一緒にしないでくれ、と向こうは言った。

学校がいじめについて何もしていないと思ってほしくない、と教頭は言った。
生徒には、道徳の時間などに話をしている、と。
当然のことであって、それをもししていなかったらもはや学校ではない
だが、生徒に話はしているのだ、と威張ってきた。
こちらは、保護者に一言も伝えられていない、という点を問題にしているのを、
生徒に話をした、で逃れようとするあたり、見苦しいと感じた。

ちなみに、生徒向けの学級だよりにも、
いじめの話題が載せられたことは、一度もない。

「いじめについて、学校は何もしていないわけじゃない」と向こうは言った。
「オレ、勉強は何もしていないわけじゃない。5分している」と私が不快感を示すと、
これも一緒にするなと向こうは言った。

じゃあどう違うのか尋ねたが、はっきりした説明はなかった。
もちろん、私はいじめの実態を具体的に根ほり葉ほり聞こうとしているわけではない。
なんで、通知が来ていて社会的にも要請があるのに、
学校から、いじめ問題に対するお知らせが、一言もなされないのか、という疑念である。
ほんとうに、一言もないのだ。

だが、すべてにわたって、実に歯切れが悪い回答ばかりだった。

毅然と対しているのであれば、
何もしていないわけではない、ではなくて、こうしています、と地域に宣言すればいいだけだ。
そうすれば、学校はこんなふうに立派に立ち向かっている、と安心できる。
保護者として当然の要求であろうし、いじめを許さない学校です、と示すことは、
何も文部科学大臣に指示されなくても、当然、ごく当たり前にやるべきことだと思う。
それを、なんだかんだと理由をつけて、それはできないとか、
それぞれ事情がありますからとか、渋る理由は、普通に考えても、理解できない。

だが、あくまでも、
文書化をとことん渋り、
具体的言明を一切避け、
いじめを認めたくないらしい。
いじめられている子とその親の苦しみなど、二の次でしかないのだ。
そして断言するのだ。「もう、その問題は終わりましたよ。解決しましたよ。
学校は(さんざんその保護者の訴えがあった後に)少しだけ動きましたよ。
いじめに対応しました。もうその後に何があろうと、関係ないでしょう」という意味のことを。
いじめた側への指導は、なされていないに等しい現状がある。続いているからだ。

私は、かのお子さんのご両親からの連絡を待っている。
全面協力することは、今は離れて暮らす、その子の肉親にあたる方に伝えている。
この方と、私とがつながりがある。
まずは、今日一日を笑顔で過ごせるように、と祈らざるをえない。