秋分の日でもいいし、彼岸の中日でもいい。
いくら農業のために必要だからと言って、
昔の人はよくぞ知恵をもって、一年を区切ったことよ。
しかも、太陽の動きも見据えつつ、
生活は太陰暦でまかなっていたというから、
実に器用である。

ヒガンバナのことは、
この時期になるとどうしても触れたくなる。
一度見たら忘れられない、
人の心をぎゅっと掴む、ヒガンバナ。はてしなく想像することをお許し願いたい。戦国時代、あるいは江戸期に入ってからでもいい。いわゆるキリシタンとなった日本人たちは、このヒガンバナを見て、何も感じなかったはずがないと思う。葉もなく、地からにゅっと出た茎の上に、見方によってはぼろぼろにちぎれた布きれのような、ぎょっとするような血の色をした花。滴る血のように見えないこともない。この花に、血に染まるキリストの姿を見たに違いない。3本ほど並んで咲くことももちろんある。ゴルゴタの丘に立つ、3本の十字架に見えないと嘘だ。「エスさまはね……」幼い子に話す母親の姿が、頭に浮かんでくる。ヒガンバナ。この時期になると、不思議と必ず並び咲く。罪より購うということが、どんなに残虐で、壮絶なものであるのか、それが分かる方は、どうぞ改めてヒガンバナに注目して戴きたい。