やらせタウンミーティング
悪気があるわけではない、というのが一番恐ろしい。
議論とか民主主義とかいうものを根底から覆す
とてつもないタブーを犯しておきながら、
無邪気にそんな言い訳をするというのは、
事の重大さを水に流してもらおうというだけの甘えもいいところである。

分かっていない。
その無邪気さが、限りなく悪意そのものなのである。

教育基本法を変えることをどうしてもやりたい権力あるグループからは、
こんな声も出てきた。
「やらせなんて小さなこと。そんなことは気にしないで、
 早く法律を変えよう」
こうなると、無邪気ではなくなる。
あるいは、見事に本音が出ているというふうに、誰もが分かっている。
それでも、政治的にはそういう方向になだれ込んでいくようになる。

怖いということの意味は、一つにはそこにある。