夏のオリンピックが行われる年は、
西暦の数字が4で割り切れる年だ。
以前は、冬季オリンピックもその年だった。
夏季と冬季とかけもちする選手のため、
というわけではないだろうが、
冬季は夏の中間にあたる年に開催される。

どだい時代背景も思想背景も違うゆえに、
ギリシアのオリンピア競技と比較しても仕方がないが、
ギリシア全土の戦闘状態を停止して開催する、という理念は
私たちも受け継ぎたいところであった。

ギリシアは開会式では先頭で入場行進する。
大国の利害や利権を優先させないためにも、
この伝統は的確なものであったと言えるだろう。

日本の相撲のように、
神々に奉納するという意図があったかのようだ。
金銭も与えられない、ただ名誉の闘いのために
命を張るようなギリシア人は、
近隣の中東諸国から怖れられた歴史もあるという。
ああいう戦い方をする兵士には、勝てない、と。

子どもたちにとっては、金メダルの選手がヒーロー(ヒロイン)である。
もはや金の選手にしか目が行かない。
ある程度、仕方がない。
マスコミが、そういう響きで喜び叫び報道するのだから。

世界の一流の選手が、
素人には思いもよらない次元のことにこだわりつつ
最高の演技や闘いをする場である。

私たちは、競技そのものとその背後にある練習の姿に感動したい。
どれほどのこだわりに基づいて、
その競技の成果が現れてくるのか、知りたい。

メダルは、もちろんすばらしい。
ただ、私はよく「入賞」のレベルを見ている。
入賞する選手たちの名誉に喝采を送りたい。

そのオリンピック期間も、あとわずか。
一流のプレイは、いくら見ても飽き足らない。