朝のNHKラジオは、
春からのレギュラー「ラジオビタミン」は夏休みである。
「夏の高校野球」「北京オリンピック」とイベントが目白押しなのだが、
その前に
「夏休み子ども科学電話相談」がこの時期のメインとなるのだ。

知識としてもためになるのはもちろんだが、
答え方に学ぶことが多い。
教えるということはどういうことか、
大いに参考になる。

でもどうして、「科学」なんだろう。

子どもが科学に興味をもつことは、
近年とくに奨励されている。
論理や観察を好まず、
直感や好悪だけですべてを振り分けてしまう
「思考しない」傾向を案じての「科学」という含みがあるかもしれない。

また、「社会」や「人生」だと、
一定の解答が決まっているわけではない。
たとえば悩んでいる質問について、
「神を信じなさい」と放送することもできないだろうし、
貧困の発生について
「政治が悪い」などと答えることもできないだろう。
いわば、それらは答えの決まらない質問なのである。

その点、数理関係は、答えがほぼはっきりしている。
また、それが間違いであることも検証可能であることが多い。

だから、電話相談としては、科学でよいと思う。

しかし、子どもたちの疑問は、「科学」だけではない。
子どもたちの眼差しは、
「どうして大人は……」と見つめている。
それを言葉にできないとか、
言葉にすることを憚っているとかいう裏事情のために、
表に出てこないのかもしれない。

子どもたちが黙っているからといって、
大人は許されているわけではないのだ。

子どもたちの相談の矛先を
大人の事情で隠しているにしても、
子どもたちの大人への眼差しは
ごまかされているわけではないはずだ。

夏休み、
大人もふと、
子どもだった時期の眼差しのことを
思い出してみるとよいかもしれない。
そのとき悪辣に映った大人の姿は、
まさに今の自分自身の姿なのである。