三が日という区分も、なんだか空しいほど、
世間は正月気分を吹き飛ばして、蠢いていた。
それどころではない人も、たくさんいる。
なんとか公的機関や企業が動いてくれないかと、
寒空を耐えているのだ。

アメリカがくしゃみをしたお陰で、
世界中の弱い人たちが苦しむこととになった。
いわば、アメリカのバブルが弾けたようなところもあると思うが、
残念ながら自由主義経済は、
常に好景気というわけにはゆかない。
それに備えているようで、たいていの場合は、
なるようになる、なったときの問題、というふうでもある。

ハレとケの区別も崩れていくようであるが、
礼拝の前のあのぴーんと張りつめた静けさは、
変わるところのない緊張でもある。

今日は、2009年最初の聖日礼拝。
すでに元旦礼拝を経ていることであろうが、
教会は基本的に日曜日を主軸として動く。

教会の中でも、
経済問題を祈ることが多い。
主の山に備えあり、という言葉が、
信仰の世界にははたらくが、
ともかく今日の糧に喘いでいる人に対して、
たとえパンだけで生きるのではないにしても、
いのちのパンが備えられてしかるべきだと願わざるをえない。

動き始めた新しい一年の中で、
許されるならば、また五十回余りの礼拝に出させていただく。
まだ地上でなすことがあるのならば、
何を求められているのか、天に尋ねながら歩むつもりである。