体よく利用し、
役に立たなくなったら、棄てる。

人間を、こんなふうにしか扱えない人がいる。
指導者の中に、とくに多い。
教会というところは、注意が必要だ。信徒は、従順が美徳であると教えられる。一切、反抗や批判などしてはならない、と教えられる。なにせ、それは神に逆らうことだというのだ。こうして、多くのカルト集団が発生し、洗脳によって、とんでもないことをしでかす僕を生産してきたことは、心ある人から見れば、当然気をつけなければならないことなのだ。信仰とはこういうものだ、と自分に厳しく、自分の義務をより大きく感じて仕方のない羊たちは、簡単にこうした騙しのテクニックにひっかかってしまう。蛇のような賢さもまた、必要なのに、そこは決してその首謀者たちは強調することがない。鳩のような素直さだけを語り、言いくるめていく。批判する者は、ただ黙殺する。けっして、まともに答えてはならないと思っている。まるで、自分が被害者であるかのように振るまい、側近にはそのようにしか語らない。その上、自分が神の御心をかなえる者であるというふうに、確信犯でいることから、どこまでも強気で振る舞うのも特徴的である。幾多の教会が、そうして道を踏み外してきた。悪魔は、教会で権力をもつ者をまず捕まえる。それが手っ取り早い、悪魔の方策だ。本人は、悪魔の言いなりになっていることなど、思いもよらない。特撮ヒーローもののように、「おれは悪の帝王だ」と自覚してやってくるような者は、一人もいないのだ。要するに、目の前の人間を見てはいけない。人間を見に、教会へ来てはいけない。そこで神の言葉が語られているかどうか、が基本なのだ。教会では、信仰に厚い人ほど、「こんなことを思うのは不信仰だ」「批判するのは不信仰だ」と自分を責めてしまうものだ。そんな人は、遠慮なく、聖書に尋ねることをお勧めする。聖書は何と言っているか。そこから、立ち上がってその悪魔の支配から抜け出す勇気と力とを与えられますように。