近所の若いママさんが、さかんにチラシを配っている。
手渡して、読んでください、と言ったり、
また会うと、読みましたか、と声をかける。
環境問題を訴えたような、タブロイド判の新聞形式のものである。
公園で子どもを連れて遊んでいると、辺りの家に
ベビーカーを押して歩きながら、二人組で
それを配ってまわっていた。
これは、教会のトラクトと同様である。
問題のチラシであるが、
もっともらしいことが書いてあり、
さしあたりケチをつける必要のないような、よいことが書いてある。
ただ、環境問題というのは、
一つのよさそうなことを改善したらうまくいくというものでもない。
そればかりか、そのよさそうに見えることすら、
とんでもない影響を及ぼすこともあるというから、
人類の営み全体への関連は計り知れない。
だから、その団体は、そこを突く。
自分の身近なところで善いことをしましょう、と。
まず、できることから始めましょうよ、と。
気になったので、少し調べてみた。
この運動について、きっちり理論的に批判の目を向けている人もいた。
私は、資金面に怪しいものを感じた。
募金者に一人100万を自腹で切るように仕向けており、
損失が出たらいずれ責任者が返す、と言っている。
正式契約とも思えず、逃げようと思えばいくらでも逃げられる仕組みだと感じた。
また、この「号外」と彼らが呼ぶタブロイドを
ギネス記録に挑戦すべく配ることが彼らの第一の目的のように記してあるのを見て、
そういうものなのかな、と思った。
何も、主催者が、元お笑い芸人であるとか、
いかがわしい映画監督でもあったとかいうことが、
運動の価値を低めるとは思わない。
芸人をやめた後、街頭で「書」を思いのままに書き、多くの人と触れあった経験が、
多くの人を巻き込む草の根運動へとつながっていったものとも思われる。
訴えはそれなりに分かるが、
事はそう簡単でないのも事実だ。
大きなプロジェクトであるが、
共感した人の多大な出費を前提としている以上、
資金的に破綻したときの責任など、はっきりしない点が多すぎるような気がする。
第一、環境問題が、
そんなに簡単に、自己満足的にやってのけられるとは思えないのだが、
支援者は、「できる」と思いこまされて、
暑い中、夏至の夜は消灯しよう、という目的を遂行するために、
トラクト配付に勤しんである。心優しい人々である。
殆ど、宗教である。
とすれば、キリスト教会も、同様なことをやっていた、ということになる。
冷ややかに見られ、それがどうしたという視線の中で、
キリストを伝えようと苦しんでいるのだ。
手渡して、読んでください、と言ったり、
また会うと、読みましたか、と声をかける。
環境問題を訴えたような、タブロイド判の新聞形式のものである。
公園で子どもを連れて遊んでいると、辺りの家に
ベビーカーを押して歩きながら、二人組で
それを配ってまわっていた。
これは、教会のトラクトと同様である。
問題のチラシであるが、
もっともらしいことが書いてあり、
さしあたりケチをつける必要のないような、よいことが書いてある。
ただ、環境問題というのは、
一つのよさそうなことを改善したらうまくいくというものでもない。
そればかりか、そのよさそうに見えることすら、
とんでもない影響を及ぼすこともあるというから、
人類の営み全体への関連は計り知れない。
だから、その団体は、そこを突く。
自分の身近なところで善いことをしましょう、と。
まず、できることから始めましょうよ、と。
気になったので、少し調べてみた。
この運動について、きっちり理論的に批判の目を向けている人もいた。
私は、資金面に怪しいものを感じた。
募金者に一人100万を自腹で切るように仕向けており、
損失が出たらいずれ責任者が返す、と言っている。
正式契約とも思えず、逃げようと思えばいくらでも逃げられる仕組みだと感じた。
また、この「号外」と彼らが呼ぶタブロイドを
ギネス記録に挑戦すべく配ることが彼らの第一の目的のように記してあるのを見て、
そういうものなのかな、と思った。
何も、主催者が、元お笑い芸人であるとか、
いかがわしい映画監督でもあったとかいうことが、
運動の価値を低めるとは思わない。
芸人をやめた後、街頭で「書」を思いのままに書き、多くの人と触れあった経験が、
多くの人を巻き込む草の根運動へとつながっていったものとも思われる。
訴えはそれなりに分かるが、
事はそう簡単でないのも事実だ。
大きなプロジェクトであるが、
共感した人の多大な出費を前提としている以上、
資金的に破綻したときの責任など、はっきりしない点が多すぎるような気がする。
第一、環境問題が、
そんなに簡単に、自己満足的にやってのけられるとは思えないのだが、
支援者は、「できる」と思いこまされて、
暑い中、夏至の夜は消灯しよう、という目的を遂行するために、
トラクト配付に勤しんである。心優しい人々である。
殆ど、宗教である。
とすれば、キリスト教会も、同様なことをやっていた、ということになる。
冷ややかに見られ、それがどうしたという視線の中で、
キリストを伝えようと苦しんでいるのだ。