自分のことは棚に上げて、と言われるのは覚悟の上だ。
自分は違う、などと言うつもりもないが。
不愉快な思いを毎日のようにしてしまう。
電車というのは、
様々な他人が、それぞれさも自分の部屋であるみたいに
自由に振る舞うような場所になってしまっているからだ。
電車を降りるときも、いつも「なんで?」と思ってしまう。
ドアの向こうに、真正面に、乗ろうとする人が構えているのだ。
構わず乗ってこようとするときはもう論外だが、
そこに居座られて、なんで早く降りないのだ、という目で
降りる人々を睨むのは、全く理解できないのである。
自分が、降りるのを邪魔しているのだから。
まるで、「オレには乗る権利があるのだ」と言わんばかりに、
真正面に立ちはだかっている。
ほんとうに、奇妙な共同体だ。
電車の中というのは。
互いを、「ひと」として認識しないように
駅の中ではエポケー(判断中止)が働いているかのようだ。
だが、身体的には、
おしつけられ、あるいはその話し声にさらされている。
若者の無思慮を嘆いているのではない。
おとなが、たいていこの有様なのである。
電車の中は、
傍若無人があたりまえとなっている。
――死語かもしれない、「傍若無人」が。
自分は違う、などと言うつもりもないが。
不愉快な思いを毎日のようにしてしまう。
電車というのは、
様々な他人が、それぞれさも自分の部屋であるみたいに
自由に振る舞うような場所になってしまっているからだ。
電車を降りるときも、いつも「なんで?」と思ってしまう。
ドアの向こうに、真正面に、乗ろうとする人が構えているのだ。
構わず乗ってこようとするときはもう論外だが、
そこに居座られて、なんで早く降りないのだ、という目で
降りる人々を睨むのは、全く理解できないのである。
自分が、降りるのを邪魔しているのだから。
まるで、「オレには乗る権利があるのだ」と言わんばかりに、
真正面に立ちはだかっている。
ほんとうに、奇妙な共同体だ。
電車の中というのは。
互いを、「ひと」として認識しないように
駅の中ではエポケー(判断中止)が働いているかのようだ。
だが、身体的には、
おしつけられ、あるいはその話し声にさらされている。
若者の無思慮を嘆いているのではない。
おとなが、たいていこの有様なのである。
電車の中は、
傍若無人があたりまえとなっている。
――死語かもしれない、「傍若無人」が。