虫の音が、夜の静けさを埋めている。
人工的でなく、生き物の自然な音は、
心が安らぐ。

虫の音は、ある国の人は、
雑音としてしか脳が認識していない、という調査を
聞いたことがある。
文化によりいろいろ違うのだろう。

茶の香りについても、同様の話を聞いたことがある。
新茶の時期、駅から平等院へ続く道を歩くと、
宇治茶のかぐわしい香りが、辺りを染め上げていたのだが、
ある国の人にとり、それはただの草の臭いに過ぎない、と。

肉食文化との差異があるのかどうか。
聖書では、動物の脂肪を焼き尽くした香りのことが言われる。
それは薫製のように「薫る」というのだろうか。

日本人は虫の「ね」と言い、茶の「かおり」と言う。
「おと」ではないし、「におい」でもない。
生き物をいつくしむ心があるのかもしれない。
その繊細な聴覚と嗅覚は、
風にさえ音を聞き、匂いを覚えることがある。

そういう感覚をもつはずの日本人が、
黴の生えた米を
どうせ分からんだろう、などと平気で
自分の金儲けのために回し続けたというのだから、
それはもはやあくどいというものであるよりは、
伝統文化を愚弄し踏みにじる行為だと言ってよいのではないだろうか。

そこにもし、役人が絡んでいるとしたら、
どうしてこんなにモラルが破綻してしまうのか、
本気で哲人の声を聴かなければならないのではないか。