責任のある人、無責任な人、どう判断するだろうか。
何をすればいいとか悪いとかいうことでもないだろうと思う。

時に、必要以上の弁償や慰謝料を支払うことを以て
責任と見なす場合もあることだろう。

ただ、一般的に言って、
自分がその問題についてまず第一に立つべきだ、という自覚が
あるかないかは、どうしても必要なラインであろう。

昨今の行政の無責任さを国民が感じるのも、
自分がその問題のためにまず矢面に立ちます、ということがないからだ。
いやそれはあのせい、このせい……と逃げる。
こうして、国民はたらい回しにされている。
これを、私は無責任と呼ぼう。
なにも、弁償をするかしないかで責任のあるなしを区別はしまい。

矢面に立つ気概があるからこそ、
親は子どものことで保護者たる名前を連ねるのだ。

近頃、この意味での無責任さが、
世の中の随所で目立つ。

少なくともそのことでお金を得ているのであれば、
無責任な態度はありえないというのが私の基本的な姿勢だ。
学校もそうだが、宗教界にしても例外ではない。
プロならぬ無責任さが、横行している。