「子どもと家族を応援する日本重点戦略検討会議」
すでに1月30日にも挙げているが、
「応援」と「戦略」とは、同時に成り立たない概念である。
どちらかが本音であり、
もう一方が本音を隠すための飾りであることになる。
もちろん、それははっきりしている。

女性を機械にたとえることが「できる」神経。
それをかまわないと言うことが「できる」神経。
話の主旨は別だから、子どものいない夫婦は不健全だという意味にとれることを言うことが「できる」神経。
その発言には問題がないと言うことが「できる」神経。

「応援」などという嘘はやめてほしい。
クリスチャンの中には、子どもを産むことをよしとしている人が多いが、
「戦略」に協力しているつもりはない。
神の言葉に祝福を信じているだけの話である。

はっきりと、ただ「戦略」とすればいい。
「応援」とは、応援する側が主役になることはないし、
応援する側の意志ですべてが決まるのではない。
まして、「読売ジャイアンツを応援する戦略」というものは、
ジャイアンツの戦い方には何の関係もないことは明らかであろう。
応援団が席をどう決めるか、というような戦略ならよいが。
となると、応援する議員たちの選挙をどうするか、という戦略が本音ということか。

「機械」や「健全」の言葉に問題があるという、
まさに「健全」な感覚をもっているマスコミや世間が、
どうして「応援する戦略」という言葉に疑問を抱かないのか、不思議である。
この表現に、まさに柳沢厚労相やそれを庇う面々の精神が何であるのか、
あの発言は政府全体のどこを切っても零れてくるものであったということが、
はっきり露呈しているではないか。

念を押すが、「戦略」が悪いと言っているのではないのだ。
政治が戦略であることを否定するつもりはないからだ。
だが、騙すようなやり方は、すべての信用を裏切ることになる、と言いたいのだ。
「戦略」を「応援」だと、虚飾してごまかしていることが、
信頼をなくすことになっている、と言っているのである。

ちなみに、こうして騙す側の反論は、ときにこのような表現をとる。
「言葉狩りをするものではない」
いわば加害者側がこのように言うときには、
言葉を、人を騙すための道具として用いる人である可能性が高い。
いわば、問答無用ということである。