新聞などでも、
赤塚不二夫の訃報に対する論評が多い。
手塚治虫が亡くなったときのように、
「巨星墜つ」との何段抜きかの見出しはなかったが、
かつてのヒット時から知る人々は、大いにその死を惜しんだ。

奔放な生き方のゆえに、
いつ死んでもおかしくなかったような晩年だったが、
意識も戻らぬままにいる中で、
そのお嬢さんが取り仕切って、
会社を切り盛りしている様子を
テレビで見たことがある。

赤塚不二夫。
そのギャグは、
どこか無謀も伴うものだったが、
笑いを自分の身にも引き受けるのではあった。

今は、とくにその場にいない人を見下す笑いが
「大笑い」と評価されている。
私はそのようないじめ的構造になじめないので、
冷笑、からかいの笑いについて、
これまでにも何度か触れたことがある。

手塚マンガもこの二十年、さまざまな分析されている。
赤塚ギャグも、これから分析されてゆくのだろうか。
手塚マンガが、その時代だけのもの、ということにならず
普遍性をもちえたように、
赤塚マンガもまた、何かを訴えることができるのだろうか。