安倍首相は31日夜、参院選惨敗を受けて行われる内閣改造について、
「赤城農相を含めて、人心を一新していく」と述べ、
赤城農相を留任させない考えを明らかにした。(読売新聞)


すでにあちこちから火の手が上がっているが、
「人心を一新」するというのは、意味不明の言葉である。

松岡利勝農水相自殺のときにも、「慚愧に堪えない」と言って
自分のことを悔やみ恥じていると告白してしまい、
言葉を知らないと酷評された安倍晋三内閣総理大臣であるが、
今回も、言葉として理解不能になってしまった。

人を惑わすと言われた人は、
本人が自覚しているいないに拘わらず、
言葉のすり替えをする傾向がある。
人々はこういう意味で理解するかもしれないが、
自分としてはこういう意味で理解している、
そういう状況を作ることにより、
相手に嘘や不誠実を悟らせないようにするのである。

つまり、自分がAです、と言うことにより、
Aだな、と思った他人は、信用してしまうのであるが、
自分は実は他人が理解するAという言葉の意味とは違うBという意味で使っており、
だから自分はBを実行することにより、Aをした、と胸を張っているのである。

教会でも、「福音」という言葉が、
自分の知っている浅はかなその言葉の人生訓的な意味でのみ使うとき、
十分深い神の愛を想定してその言葉を使う人々にも、
たしかに違和感なく聞けるのであるが、
よくよく話を進めていくと、「福音」という意味、内容が、
全然違うものであるような場合が、けっこうありそうである。

こうして「十字架」という言葉に対しても、
理解の差異が生じている場合が当然多い。
それは、信徒同士の間であれば、それはそれでよい。
個性があるだろうし、どれが一番正しいなどという基準を
軽々しく私たち人間が決めることはできない。