この場所は、ここだけで完成というのではなくて、
何かのアイディアの生まれる場所という位置づけもできるだろう。
いずれ、ウェブサイト本編において、
詳しく検討されるべきことの、
覚え書きのようになってもよいと思う。

しばらく、「特伝」について考えてみたい。

教会は、年に一度、しばしば秋に、「特伝」を開く。
ゲストの講師を招いて、求道者に決心を迫る説教をしてもらうのである。

秋というのは、収穫の秋ということで、
聖書の表現にも合わせている。
聖書では麦なので季節が合わないが、
日本ではこの秋の時期でよいだろう。

この時期に決心すると、クリスマスに受洗するという含みもあるようだ。
それを逃しても、イースターの受洗というものも控えている。

すべて、教会の都合である。

私は、この「特伝」というものに、疑問をもっている。
たしかに、打ちひしがれて
神の前にひざまずくような魂の者は、
特伝で心さされて、救いの体験をするかもしれない。
そんなことがありえない、などというつもりはない。

だが、教会に人を呼ぼうとする気があるのなら、
特伝など、いらない、と思うのである。

なぜか。
それは、思うところがたくさんあるので、今後細かなメモを
繰り返していくことにしたい。