看護の日が定められたのは、1991年というから、それほど古くはない。
旧厚生省が、ナイチンゲールの誕生日である5月12日に因んで制定した。
また、その日を含む週を、看護週間として、
看護に対する関心の必要性を訴えている。

看護師が不足している。
もとより、人口減少社会においては、
人材不足は当然のことであって、
次第にサービスも密度が薄くなっていくことは避けようがない。

しかし、高齢社会においては、
医療の必要はますます増大するわけであり、
看護師の不足は深刻である。
そのため、アジア諸国など、海外のナースも受け容れる準備が調いつつある。
日本語がどこまで十分伝わるかや、
患者の文化的背景を踏まえた看護ができるのかどうかなど、
新たな課題も懸念されている。

国内でも、深刻な問題がある。
人材不足になると、
どうしても審査が甘くなる。
看護師としての合格基準が、下がるというのである。

医療ミスは多いとまでは言えないかもしれないが、
それでも命に関わるだけに、本来あってはならないものである。
患者の立場として、素人っぽい看護師に囲まれるというのは、
いわば恐怖である。

ただでさえ、専門学校から短大扱いになってから、
看護師の教育課程は、実習が減少し、
理論学習が多くなってきている。
今出てきている若手は、そうした実践経験の少ない看護師が多いのだ。
知識の重要性を否定するつもりはないが、
訓練が少ないというのは、やはり不安である。

そのうち、その知識すら、
満足に身に付かないままの看護師すら、どんどん送りこまれてくるようになる。
厳しいことを言えばなり手がないということで、
審査が甘くでもなれば、なおさらである。

医療教育というものは、
さらに特別に入念な扱いを受け、研究されてしかるべきではないか。
たんに、大学の学部の一つとしてという捉え方ではなく、
特別な医学校としての教育課程を
崩すことなく、さらに厳密な取り扱いをして、
プロの医療従事者を育てるために尽力して戴きたい。