仕事の帰りに、子どもの姿を見ることがある。
いや、子どもに勉強を教えているわけで、
小学生や中学生を
夜遅くまで街にいさせている責任というものも
ひしひしと感じているのだが、
私が言っている「子ども」というのは、
就学前の子どもである。

夜10時を越えてなお、
幼稚園あるいはそれより小さな子が
街明かりの舗道を走っている。

近頃は、親が夜遊びに行くために、
小さな子どもを必然的に連れて行くということがままあるらしい。
生後数ヶ月の赤ちゃんすら連れて、
へたするとカラオケなどに行くというのである。
パチンコ店に置き去りにするということなど
当然すぎるくらいのことであるのかもしれない。子どもが夜遅くまで起きてはしゃいでいる。当然就寝は遅い。朝起きられない。それでも幼稚園や保育園などは始まる。これもまた、不都合な事実である。だが、事はそれだけに終わらない。子どもが、夜遅くまで、光を浴びている。本来幼いからだは、闇をもって夜と認識し、光をもって朝を覚え脳がリズムを刻むことを覚える。人工の光によって、間違ったリズムがインプットされるのだ。パパが夜遅く帰宅するのを待っている子どももいるそうだし、我が家でもそれがなかったとは言わない。しかし、それはじきに崩れていった。子どもは、可能なかぎり自然のリズムで生活を刻むように仕向けた。それは大切なことであると考えた。大人にとって何でもないことだから、と子どもらしくない世界に引っ張っていくことは、大きな問題である。睡眠生活が崩れ、食欲も適切にはたらかなくなり、意欲にも影響を与えていくことが、容易に想像される。大きなお世話だと言われるかもしれない。子どもを夜よい子ふうに寝かせることのできるような恵まれた環境にないのだ、などと文句を言われるかもしれない。だが、親が努力することをしないための言い訳を安易に肯定したくはないと思う。子どもは、闇と光とを区別することを覚えて育っていってほしいからだ。