イースター礼拝から六日目となる。
その「イースター」の語そのものについて、
私はこの箇所で、疑問を呈していた。
異教の響きがあるではないか、と。

23日早朝、新聞の社説を例によって斜め読みにしていた私は、
ただ一つだけ、イースターのことを取り上げたコラムに出会った。
産経新聞である。

それは、キリスト教を否定するという調子を表に出しはしなかったが、
ただ一つ言えることは、
「日本人には関係がない――日本人が排除すべきもの」
ということを広めるような語り方であったということだ。

この新聞の常であるわけだし、
悪意と共に取り上げているのは分かる。
だが、取り上げるということは、
それだけ関心が強いということでもある。

皮肉なことに、
キリスト教に理解のあるような他の新聞には、
復活祭について触れたものはなかった。
この産経新聞に記されたとおりに、
日本人が無関心であるという様を示してしまったのである。

マスコミに乗るのがすべてではないし、
マスコミに乗らないから伝わらないというわけでもない。
だが、これだけメディアが発達して
情報の氾濫している中にも、
「復活」が日本人の意識の中に上らないということは、
教会が伝えている力がないというふうに捕らえたほうがよさそうである。

逆に復活祭など毛嫌いしている産経抄だけが取り上げたことが、
奇妙な仕方で、そのことを証拠立てている、と私は見た。