東京都の町田市教育委員会が、
新年度から「奉仕活動」を四年生の必修にするのだという。
総合学習なのだそうだ。
交通違反者に、
交通安全活動や清掃活動を義務づけようという動きがあるが、
小学生に、公園や道路清掃を「奉仕活動」として教育するというのは、珍しい。
清掃はよいのだ。
問題は、それを「奉仕活動」と呼ぶことである。
奉仕という語は、英語でボランティアというが、
これは「自発」を表す言葉である。
何かに強いられたり、他の原因によって起こるのではなくて、
自分からそれを発する、いわば「自由」概念の別名なのである。
奉仕活動を、義務づけるということは、
言葉や概念の上からも、自己矛盾そのものである。
このようにして、言葉を歪めて教育すると、どうなるか。
国家のために奉仕をするのだ、という道に
簡単につながってしまうことになる。
いや、その下敷きとして、この発想があることは間違いない。
企画者たちが、意識していないにしても。
呼ぶならば、「公共活動」のようにしなければ、
たいそう危険である。
あるいは、本音のとおり、「奉公」とするなら、それはそれでよい。
これらは、自発だと錯覚させる要素を減らすことができるからである。
まとめておく。
これは自分で選んだ、と自分の自由意志であるように勘違いさせる、
カルトのやり方と、町田市の「奉仕活動」のやらせ方は、
同一であるのだ。
新年度から「奉仕活動」を四年生の必修にするのだという。
総合学習なのだそうだ。
交通違反者に、
交通安全活動や清掃活動を義務づけようという動きがあるが、
小学生に、公園や道路清掃を「奉仕活動」として教育するというのは、珍しい。
清掃はよいのだ。
問題は、それを「奉仕活動」と呼ぶことである。
奉仕という語は、英語でボランティアというが、
これは「自発」を表す言葉である。
何かに強いられたり、他の原因によって起こるのではなくて、
自分からそれを発する、いわば「自由」概念の別名なのである。
奉仕活動を、義務づけるということは、
言葉や概念の上からも、自己矛盾そのものである。
このようにして、言葉を歪めて教育すると、どうなるか。
国家のために奉仕をするのだ、という道に
簡単につながってしまうことになる。
いや、その下敷きとして、この発想があることは間違いない。
企画者たちが、意識していないにしても。
呼ぶならば、「公共活動」のようにしなければ、
たいそう危険である。
あるいは、本音のとおり、「奉公」とするなら、それはそれでよい。
これらは、自発だと錯覚させる要素を減らすことができるからである。
まとめておく。
これは自分で選んだ、と自分の自由意志であるように勘違いさせる、
カルトのやり方と、町田市の「奉仕活動」のやらせ方は、
同一であるのだ。