麻生太郎では戦えない。
麻生を倒せ。

そんな声が自民党の中で強くなっているという。
空気が読めないとか漢字が読めないとか、
揶揄する程度の問題ではなくなってきた。
「迷走」も、
いろいろな事情を鑑みてのことなのであろうが、
議員たちにとっては、自分の「選挙」の心配があるゆえに、
国民の多くが不支持となった首相に「反対」することが
自分のためであると考え始めたようだ。
極めて分かりやすい。

しかし、その麻生氏を、
2/3の圧倒的な支持で自民党総裁に選出したのは、
当の自民党員なのである。(議員では56%余り)

自分たちで熱狂的に迎えた指導者が困惑しているとき、
それを支えようと考えるのではなくて、
あっさり切り捨てようとする政党とは、何なのか。

それは、国民が困苦に喘いでいるとき、
不要ならばあっさりと切り捨てるということを意味するのではないのか。

退職金を一円漏らさずもらいつつ、
自分の信念を貫いたと満足して退いた元航空幕僚長のように、
愛国を標榜する人々が、
国民をも、あるいはたとえば沖縄をも、
簡単に見捨てた歴史から、
残念ながら学ぶということはないらしい。

他人事ではない。
「ホサナ」と熱狂的にイエスをエルサレムに迎えた
ユダヤ人たちが、
数日後には、
「十字架につけよ」とヒステリックに叫んだのである。

こういうときにこそ、首相を助けて
国政をととのえることに尽力する自民党議員はいないのだろうか。
麻生首相も、信仰を失っていないのであれば、
こういうときにこそ、主に助けを求めたらいいのに。