あるある大事典からこれでいいのだとかトリビアの泉とか、
そのテの番組が次々と挙げられている。

関西テレビは、その反省が見られないみたいなことで、
仲間から切り捨てられようとさえしている。

どだい、テレビとはその程度のものだ、という意識を広めてしまった、と
迷惑千万みたいに言われているが、
やはり、テレビとはその程度のものではなかったのだろうか。
とくに、民放は。

スポンサーが高額な料金を払いたくなるほど、
人目を惹く番組を作らなければならなかったはずだ。
真面目な番組では、商売が成り立たない仕組みなのだ。

むしろ、受信料ももらうことなく、
そこからくる情報を全部鵜呑みにする視聴者が、
図々しいようにすら見えてくる。
そもそもが、眉に唾をつけて見ているくらいが、ちょうどよいのだ。
民放番組は、しょせん、企業のCMと同じものだ、という認識が、
的確ではないのだろうか。

NHKがさほど立派なのかどうかは分からないが、
企業のCMでない分については、間違いなく信用度が高い。
ただ、先般の放送命令云々の問題があるから、
逆に政府のCMでしかなくなるという、
最大の危険性があることには、私たちも気を払っていなければならないだろう。

いずれにしても、テレビとはそのようなものである。
さして考えることなく、何かが分かったつもりにさせられる。
思考力が崩壊している、というのは、教育界でも聞こえてくるものだが、
当然、社会にそれが蔓延しているという点を忘れてはならない。

かといってまた、
考えている自分の考えが絶対的に正しい、というふうに
自分を神とするのも、危ないものなのだが。

ただ、それらの危険性は、
考えることが面倒くさいような人々を
次々と勢力に組み入れていく巧みさがあってのことである。
信用は大切だが、懐疑を忘れるほどお人好しであってはならない。