おにぎりやお茶と言えば、手作り持参の弁当に決まっていた。
竹の皮に包んだおにぎりが懐かしい。
それが、コンビニに並んでいるという風景が、
いつの間にか当然のことと思われるようになった。

お弁当が、
作るものから買うものに変わったのはいつのことだろう。
ほっかほっか亭には土曜日にお世話になっている。

そのほっかほっか亭で、偽装が発覚した。
それも、きわめて後味の悪い方法であった。
ラベルの張り替えを拒否した従業員を解雇していたというのだ。

このことが外に出された故なのかどうか分からないが、
会社側は女性に謝罪し、
別店舗での雇用となったと報じられていた。

消費期限を越えたサラダやうどんをのラベル貼り替えが
業務命令であったとのことだが、
女性はそれを拒んだというのだ。

比較的珍しいケースである。
組織にはめこまれると、個人としての判断を超えて
組織の論理が優先する。
倫理的悪を覚えて最初はその論理に抵抗を示していた人々も、
自分が食っていくためもあるかもしれないが、
だんだん日常的なものになるにつれ、
倫理的な問題を感じなくなっていく。
感じないようにしているのか、そもそもが感じなくなるのか、
ここで決めつけはしないでおこう。

いくら一般的な論理や真実からずれていようと、
その組織の中で完成した論理に従うのが当然と錯覚していくのだろう。
相撲部屋のリンチ事件も、この流れの中でエスカレートしている。
新興宗教内部でのリンチ殺人もあった。まさにこの流れである。

公立学校も、その病の中にあるようだ。
最近は、バカ親というのを酒の肴にしているようだが、
はたして組織自体の問題を問題視しているかどうかは、極めて怪しい。
閉鎖的な集団は、暴走しているし、暴走していることにさえ気づかない。

いや、何の集団だから、ということもあるまい。
偽装というのは、儲けようとかごまかそうとかいう形で膨張するものではない。
ひとりの人間としての良心とか判断とかいうものを、
集団の論理の前でおとなしくさせておけば、偽装が生まれ育つのである。