タイトルは知っているくせに、
実は中身は読んだことがない、という本がたくさんある。
この本もその一つだった。
短いものだから、読めないという言い訳も通用しない。
なんだ、名探偵コナンはこれのことか、とよく分かった。
そして、百年余り前の、イギリスの雰囲気も。
スディーヴンソンは、1886年に、
数日でこの物語を書き上げという。
自分が分裂していく。
それが一つの人格になっていく。
ストーリーは単純なのだが、
そのおどろおどろしさは、なかなかいいかもしれない。
ふと、妻の言葉を思い出した。
何かの手続きで、旧姓で呼ばれたとき、
自分だという気がしなかったというのである。
しかし、当初は、
二十年以上慣れ親しんだ、というより、
生まれてずっと自分はそれであったという旧姓の呼ばれ方が消え、
新たな名で呼ばれることになり、
どれが本当の自分であるのか、分裂的に感じられたのではないだろうか。
それは私の想像であり、思い過ごしかもしれない。
勘違いかもしれない。
だが、アイデンティティが、呼ばれ方で崩されてしまうのは
感じることがあるのではなかろうか。
それは、ジーキル博士とハイド氏どころではないかもしれない、と
思うのである。
実は中身は読んだことがない、という本がたくさんある。
この本もその一つだった。
短いものだから、読めないという言い訳も通用しない。
なんだ、名探偵コナンはこれのことか、とよく分かった。
そして、百年余り前の、イギリスの雰囲気も。
スディーヴンソンは、1886年に、
数日でこの物語を書き上げという。
自分が分裂していく。
それが一つの人格になっていく。
ストーリーは単純なのだが、
そのおどろおどろしさは、なかなかいいかもしれない。
ふと、妻の言葉を思い出した。
何かの手続きで、旧姓で呼ばれたとき、
自分だという気がしなかったというのである。
しかし、当初は、
二十年以上慣れ親しんだ、というより、
生まれてずっと自分はそれであったという旧姓の呼ばれ方が消え、
新たな名で呼ばれることになり、
どれが本当の自分であるのか、分裂的に感じられたのではないだろうか。
それは私の想像であり、思い過ごしかもしれない。
勘違いかもしれない。
だが、アイデンティティが、呼ばれ方で崩されてしまうのは
感じることがあるのではなかろうか。
それは、ジーキル博士とハイド氏どころではないかもしれない、と
思うのである。