1923年9月1日、関東大震災。
大阪の英語講師であったJ.V.マーティンが、
たまたま東京にいる中で、その罹災地域を訪ねた。

放り出された人々を照らす蝋燭の炎が、ふと十字架に見えたとき、
彼の中に天から言葉が与えられた。

聖歌397「遠き国や」として知られる賛美である。
「揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり」

京都を離れるとき私は、教会の十字架の写真にこの歌詞を添えて贈った。
ふつうは、聖書の言葉の何かを引いてくるであろう。
だが、どうしても、この聖歌の一節を入れたかった。

阪神淡路大震災、1995年1月17日。
その1年後に、私は福岡に戻ったのだ。

京都の震度は5。
数字で言えばそれまでだが、
福岡西方沖地震とは明らかに揺れ方が違った。
京都では、ドーンと下から突き上げるような揺れで、目覚めたのだ。

京都府内では、あの地震で亡くなった方は1名として発表されているが、
もしかすると、その数に私や家族が入っていたかもしれない。
高いところに置いていたテレビが、もし落ちていたら、そうなっただろう。

「揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり」

神戸の被災者も、慰問の中で歌われたこの歌に反応したという。
もう一度歌ってくれ!

イエスの話の中にも、
世に立つものはいずれ崩れ落ちるが、
神の言葉は永遠に立つ、という意味のものがある。

十字架は、どんな人の知恵による批判にも、びくともしない。