小中学生の理科に対する懸念が
先日新聞を賑わせていた。
とくに、実験で、予想と違う結果になったとき、
なぜだろうと原因を調べる姿勢については、
小学生より中学生の方が成績が悪かった、という内容が
大きな見出しとなっていた。
現場の感覚からすると、
とくに小学生がよくて中学生がわるいとは思えない。
ただ、小学生の方が好奇心を表に出してくることや、
教わったことを素直に適用していく点で、
結果に影響が出るかもしれない、とは感じた。
その小学生の成績がよかったと言っても、
あまりいばれた成績ではないのである。
「実験」そのものは好きな子どもが多いにも拘わらず、
その実験なり現象なりから、論理的に推論することは、
原因方向へも、応用方向へも、うまくできないのだ。
「筋道に従って、考えようとしなくなっている」
「だから」で結ばれる筋道が、二つ以上続かない印象がある。
いきなり飛躍して、突拍子もない結論を示してしまうのだ。テレビで、クイズ番組が花盛りである。しかも、一人がじっくりというのでなく、大勢で一つの問題を考えて答えていく。タレントたちにとっても、これは都合がよい。たくさんの出演機会が与えられるし、正解を出せばそれはそれで尊敬されるし、間違ってばかりでも、ウケる答えを出せば面白がられる。そうした番組を増やすことで、「勉強なんかしなくても有名になれるし金儲けができる」そういう教育をしていることの問題点は、以前挙げた。他方、町へ飛び出して、一般の人にクイズを出すという趣向もある。駄洒落なぞなぞということもあるが、先日の番組では、かなり真面目な推理クイズを出題していた。「隕石が地球に衝突し、あなたは地球最後の男となってしまいました。 もうこれで終わりと思ったとき、ドアをノックする音がしました。 だれがノックしたのでしょう?」心理的にうまいところを突いているわけで、問題をよく聞けば答えはいとも簡単なのだが、町の若者たちはこれを出題されて、どう考えたか。犬と答えた人は、まだよかった。正解にしてもよいかと思う。しかし、宇宙人とか幽霊とか真顔で答え、あるいは横山ノックとか言ってウケを狙うだけの笑顔には、素直に笑えなかった。なぞなぞであれクイズであれ、根拠のない答えをとにかくまず言ってみることが大切だ、という精神だ。根拠や理由というつながりを欠いた、というよりも、そもそも根拠や理由というものを気にしていない、というふうだった。「どうして?」と出題者が訊くと、決まって「なんとなく」と返ってくるからだ。論理的に考えれば、何もかもが正しい、とは限らない。とくに価値判断に関することは、一見論理的であるにしても、賛同できないことや、他の考えられるケースがあるなどして、そのように行為を決定することが妥当かどうかは議論の余地がある。しかし、こうすればああなる、という類の推論は、推理ドラマやクイズが盛んであるわりには、一向に尊重されていない。考えようとしなくなっている。我が家でも、機械の調子が悪いとき、私にお呼びがかかるが、その調子の悪さについて、ちょっと原因を考えれば、どこに問題があるのか簡単に分かる場合が多い。排水の具合が悪いときも、原因はいくつかに限られるのだ。だが、「もうどうしてよいか分からない」というふうであるようだと、様々な業者が喜んでやってきそうである。
先日新聞を賑わせていた。
とくに、実験で、予想と違う結果になったとき、
なぜだろうと原因を調べる姿勢については、
小学生より中学生の方が成績が悪かった、という内容が
大きな見出しとなっていた。
現場の感覚からすると、
とくに小学生がよくて中学生がわるいとは思えない。
ただ、小学生の方が好奇心を表に出してくることや、
教わったことを素直に適用していく点で、
結果に影響が出るかもしれない、とは感じた。
その小学生の成績がよかったと言っても、
あまりいばれた成績ではないのである。
「実験」そのものは好きな子どもが多いにも拘わらず、
その実験なり現象なりから、論理的に推論することは、
原因方向へも、応用方向へも、うまくできないのだ。
「筋道に従って、考えようとしなくなっている」
「だから」で結ばれる筋道が、二つ以上続かない印象がある。
いきなり飛躍して、突拍子もない結論を示してしまうのだ。テレビで、クイズ番組が花盛りである。しかも、一人がじっくりというのでなく、大勢で一つの問題を考えて答えていく。タレントたちにとっても、これは都合がよい。たくさんの出演機会が与えられるし、正解を出せばそれはそれで尊敬されるし、間違ってばかりでも、ウケる答えを出せば面白がられる。そうした番組を増やすことで、「勉強なんかしなくても有名になれるし金儲けができる」そういう教育をしていることの問題点は、以前挙げた。他方、町へ飛び出して、一般の人にクイズを出すという趣向もある。駄洒落なぞなぞということもあるが、先日の番組では、かなり真面目な推理クイズを出題していた。「隕石が地球に衝突し、あなたは地球最後の男となってしまいました。 もうこれで終わりと思ったとき、ドアをノックする音がしました。 だれがノックしたのでしょう?」心理的にうまいところを突いているわけで、問題をよく聞けば答えはいとも簡単なのだが、町の若者たちはこれを出題されて、どう考えたか。犬と答えた人は、まだよかった。正解にしてもよいかと思う。しかし、宇宙人とか幽霊とか真顔で答え、あるいは横山ノックとか言ってウケを狙うだけの笑顔には、素直に笑えなかった。なぞなぞであれクイズであれ、根拠のない答えをとにかくまず言ってみることが大切だ、という精神だ。根拠や理由というつながりを欠いた、というよりも、そもそも根拠や理由というものを気にしていない、というふうだった。「どうして?」と出題者が訊くと、決まって「なんとなく」と返ってくるからだ。論理的に考えれば、何もかもが正しい、とは限らない。とくに価値判断に関することは、一見論理的であるにしても、賛同できないことや、他の考えられるケースがあるなどして、そのように行為を決定することが妥当かどうかは議論の余地がある。しかし、こうすればああなる、という類の推論は、推理ドラマやクイズが盛んであるわりには、一向に尊重されていない。考えようとしなくなっている。我が家でも、機械の調子が悪いとき、私にお呼びがかかるが、その調子の悪さについて、ちょっと原因を考えれば、どこに問題があるのか簡単に分かる場合が多い。排水の具合が悪いときも、原因はいくつかに限られるのだ。だが、「もうどうしてよいか分からない」というふうであるようだと、様々な業者が喜んでやってきそうである。